現在、原油高、物流の混乱、半導体の供給不足などを背景にインフレが起きている。これを受けて、健全財政に固執する論者たちは、「インフレ抑制」のために緊縮財政を主張し始めている。しかし、これは供給不足による「コストアップ・インフレ」と、需要増による「デマンドプル・インフレ」を履き違えた“誤った主張”である。現在のインフレは「コストアップ・インフレ」であり、これを克服するためには「積極財政」が不可欠なのだ。なぜか? 最新刊『変異する資本主義』(ダイヤモンド社)で、インフレと財政政策の関係性を深く考察した中野剛志氏が解説する。
アメリカにおける「インフレ論争」
バイデン政権は、発足当初から、コロナ対策として1.9兆ドル(約220兆円)の大規模経済対策を講じ、さらには約1兆ドル(約116兆円)のインフラ投資を決定した。今後、さらに1.75兆ドル(約203兆円)の人的資本投資の計画を準備している。
こうしたバイデン政権の積極財政に対しては、インフレの高進を懸念して反対する声もあった。しかし、バイデン政権の財務長官ジャネット・イエレンは、意に介さなかった。むしろ彼女は、敢えて「高圧経済」(需要が供給を上回るインフレ気味の経済)を作り出し、短期のみならず長期の経済成長を促そうと考えているのである。
現在、そのアメリカで、実際にインフレが起きている。
11月の消費者物価上昇率は前年同月比6.8%となり、約39年ぶりの高水準に達している。そして、この久しぶりのインフレと財政政策との関係を巡って、論争が起きている。
例えばハーバード大学教授のローレンス・サマーズは、積極財政には賛成ではあるものの、バイデン政権の財政出動は支出額が大きすぎて、インフレが行き過ぎているのではないかと懸念している。
これに対して、イエレンは、インフレは2022年後半には落ち着くだろうと予想し、心配はしていないと述べている。
日本でも、財政再建派と積極財政派の論争が起きているが、その論点の一つにインフレがある。
積極財政派は、積極財政によってデフレを脱却すべきだと主張するのに対し、財政再建派は、それではインフレが制御不能になると反対するのである。
したがって、アメリカにおける論争は、我が国の財政政策を考える上でも、示唆に富むはずである。
「デマンドプル・インフレ」と「コストプッシュ・インフレ」
さて、この問題を考えるにあたっては、まずは前提として、インフレには「デマンドプル・インフレ」と「コストプッシュ・インフレ」とがあることを踏まえておく必要がある。この区別を明確にしておかなければ、誤った処方箋を書いてしまうことになるからだ。
「デマンドプル・インフレ」とは、需要が旺盛になり過ぎて、供給が追い付かずに物価が上昇し続ける現象である。その典型は、景気の過熱が引き起こすインフレである。
ほかにも、戦争が起きて軍事需要が急拡大するとインフレになるが、これも「デマンドプル・インフレ」と言えるだろう。
これに対して、「コストプッシュ・インフレ」とは、供給が制約されることで起きる物価の上昇である。
例えば、産油国による輸出制限や油田の枯渇などに起因する原油価格の上昇、凶作による食糧価格の上昇、関税や禁輸措置による輸入財の上昇などである。自然災害による供給設備の破壊や疫病による労働者不足などが引き起こす物価の上昇も含まれる。
あるいは、労働組合の政治力が強すぎて、賃金が生産性に見合わない水準まで引き上げられる場合も、「コストプッシュ・インフレ」と言える。
1970年代、アメリカは高インフレに悩まされた。その原因として考えられるのは、まずは石油危機である。また、当時は、労働組合の力が強く、賃金上昇圧力がかかっていたことも原因として考えられる。いずれも、「コストプッシュ・インフレ」に該当する。
1970年代の高インフレは、主として「コストプッシュ・インフレ」だったのだ。
さて、積極財政がインフレをもたらすと言った場合の「インフレ」とは、政府による消費や公共投資がもたらす公需の増大が引き起こすインフレであることから、「デマンドプル・インフレ」のことである。
そして、「デマンドプル・インフレ」はマイルドなものである場合は、需要があるわけだから、民間投資を促進する。その結果、経済が成長するのである。
だが、「デマンドプル・インフレ」が行き過ぎる場合には、積極財政とは逆の緊縮財政によって需要を抑制し、インフレを収める必要がある。
このように、財政政策は、政府支出額を加減することで、インフレを促進したり、抑制したりすることが出来るのだ。