「積極財政は単なるバラマキ」「財政出動はカンフル剤に過ぎない」などの言説が、日本では主流だ。しかし、2010年代のアメリカでは経済政策の考え方に大転換が起き、これらの言説は「古い見解」と見なされるようになり、「積極財政こそが経済成長を生み出す」という「新しい見解」が主流となった。そして、バイデン政権による画期的な大規模財政出動が現実のものとなったのだ。なぜ、そのような大転換が起きたのか? なぜ、「新しい見解が正しい」と言えるのか? 最新刊『変異する資本主義』(ダイヤモンド社)で、アメリカの経済政策の最前線を分析した中野剛志氏が解説する。
アメリカで起きた経済政策論の「大転換」
『変異する資本主義』の第一章でも論じたように、アメリカにおける主流派経済学の政策論は、2010年代中に、大きく変わった。
オバマ政権下で大統領諮問委員会委員長を務めたジェイソン・ファーマンによれば、かつて主流派経済学者は、積極財政について「短期的な景気刺激策としては有効かもしれないが、長期的な経済成長には効果がない」と主張していた。
積極財政は金利を上昇させて民間投資を抑制する(クラウディングアウト)だろうというのが、その理由の一つである。ほかならぬファーマン自身も、かつてはそう考えて、積極財政に否定的であった。
日本でも、経済学者や評論家が「財政出動は、単なるカンフル剤に過ぎない。経済成長のためには、構造改革などによって生産性を向上させる成長戦略が必要だ」という主張をするのを、よく耳にしたことがあるだろう。
ところが、2016年、ファーマンは、それはもはや「古い見解」だと断じたのである。
では、主流派経済学の「新しい見解」とは、どういうものか。
低金利の状況下では、財政刺激策は非常に有効であり、民間投資を抑制するどころか、逆に呼び込む(クラウディング・イン)ことすらある。その結果、金利は上昇するかもしれないが、それは好ましいことである。さらに、財政支出先が適正なものであるならば、財政拡張は継続してもよい。これが主流派経済学の「新しい見解」だというのである。
同じ年、連邦準備制度理事会(FRB)の議長を務め、現在は財務長官である経済学者ジャネット・イエレンもまた、「危機後のマクロ経済研究」(注1)という注目すべき講演を行っている。ここで言う「危機」とは、2008年の世界金融危機のことである。
この講演でイエレンは、ファーマンの言う「古い見解」は間違いだったと主張したのである。何が間違いだったのか。
2008年の世界金融危機は、積極的な財政金融政策によって、とりあえず克服され、景気は回復した。ところが、危機後の経済成長率は、危機前の水準に戻ることはなく、低位で推移したのである。それは、なぜか。
イエレンは、世界金融危機による需要の急減が、供給側にもダメージを与え、しかも後遺症(経済学では「履歴効果」と言う)として残った結果、潜在的な経済成長力が低下したのではないかと考えた。
そこで彼女は、1970年代にアーサー・オークンが論じた「高圧経済(high pressure economy)」なる概念を持ち出した。「高圧経済」とは、需要が十分にあって、労働市場がタイトな状態の経済を指す。言わば、デマンドプル・インフレの傾向にある経済である。
この高圧経済の下では、大きな需要が存在することから、企業は積極的な投資を行って、生産能力を拡大する。また、技術開発投資や起業も活発に行われる。雇用機会が十分にあり、労働市場がタイトであるため、労働力はより生産的な仕事へと移動する。
したがって、政府が公共投資によって、需要を拡大し、高圧経済の状態を作り出すことができれば、民間投資が誘発され、供給力が高まり、経済成長が可能になる。しかも、高圧経済を維持するためには、政府は財政支出を一時的に拡大するだけではなく、長期間、継続する必要があるかもしれない。
端的に言えば、積極的な財政金融政策は、もはや単なるカンフル剤ではなく、長期の成長戦略でもあるということだ。これは、ファーマンの言う「新しい見解」である。
この「新しい見解」を表明したイエレンが、バイデン政権下で財務長官に就任したのである。