重要な政治決定の裏側には、スパイが絡んでいる。かつての国際的な危機や紛争、国家元首の動きもすべてお見通しだった。それは単なる偶然ではない。政治指導者の力でもない。さまざまな情報を分析したスパイたちのおかげだった。イギリスの“スパイの親玉”だったともいえる人物が、『イギリス諜報機関の元スパイが教える 最強の知的武装術 ――残酷な時代を乗り切る10のレッスン』を著した。スパイがどのように情報を収集し、分析し、活用しているのか? そのテクニックをかつての実例を深堀りしながら「10のレッスン」として解説している。マネジメントを含めた大所高所の視点を持ち合わせている点も魅力だ。本書から、その一部を特別公開する。

【イギリスの元スパイが説く】<br />説明をするときに欠かせない仮説思考とは?Photo: Adobe Stock

SEES分析の第2段階─事実説明する

SEES分析の第2段階「事実説明」における第一歩は、すべての仮説のうち、どれを相互に検証するかを決めることになる。

諜報機関の例で考えよう。秘密情報によって、核兵器非保有のA国の軍事当局が、核兵器製造に関係はあるものの民間の研究にも使われる、専門的な高速度の起爆装置を密かに輸入しようとしていることが示されたとする。A国が核兵器製造に転用可能なウラニウム濃縮技術を有することはわかっているが、国際条約である核不拡散条約を無視して核兵器計画を進めようとしているとは確信できない。

A国は民間利用を目的に起爆装置を輸入しようとしているが、意図を誤解されないように密かに調達したのかもしれない。あるいは、A国の民間研究機関は、軍の予算のほうが大きいため便宜上、軍の調達ルートを使っているのかもしれない。

起爆装置は禁止されている核兵器計画のためというのが1つの仮説、無害な民間利用目的のためというのがもう1つの仮説だ。さらに検証すべきほかの仮説があるかもしれない。たとえば、別の軍事目的に使われる可能性もある。いずれかの仮説に考えられるすべての説明を当てはめ、検証することが重要なのだ(専門的には「解空間を埋め尽くす」と言う)。

最初の仮説は2つに分けられるかもしれない。核兵器計画のために政府が調達を承認したのかもしれないし、軍が政府には知らせずにやったのかもしれない。相反する仮説は、このようにして設定する。

その後、入手した証拠によって、仮説を識別できるかどうかを検討する。判断に影響をおよぼすかもしれない仮定はどれか、その仮定を変更すれば、証拠の重要性が変わるかどうかを考える(たとえば情報分析官は、核研究はすべて軍の管理下にあるものだと考えるかもしれない)。

それから推論を導き出し、それが妥当かどうかを確認する(調達書類に誰が最終使用者かが記されていないのは、隠さなければいけないものがあったのかもしれないし、あるいは単にA国では、政府が海外調達をするときには輸出入の仲介者を経由しているのかもしれない)。

最後に個々の秘密情報を検証し(もちろん秘密情報だけではない。おそらく公にされている情報もあるだろう)、各仮定のもとで可能性が高そうか、また識別に役立つかどうかをベイズ推定の考え方を用いて考察する。同時に、[レッスン1]で述べたように、各情報が信用できるかどうかも確認する。

すべての仮説に合致する魅力的な情報報告であっても、排除しなければならないものもあるだろう。残念ながら、命懸けで入手したであろう貴重な報告でも、そういうことがある。

次の表を見てほしい。

【イギリスの元スパイが説く】<br />説明をするときに欠かせない仮説思考とは?

横の行に個々の仮説、縦の列に各証拠が示されている(体系化された分析手法の開発者であるCIAのリチャーズ・J・ホイヤーにちなんで、業界内では「ホイヤーの表」と呼ばれる)。報告によって重要な証拠が明らかになった場合、賢明な情報分析官は報告の情報源を再検証する。

一度選んだ説明は変えたくないという気持ちが無意識のうちに働くことは、過去の経験からわかっているからだ(たとえば、2002年にはイラクが化学細菌兵器を保有していると評価された)。そのせいで、新たに入手した情報を信用できないとして却下したり、例外だとして無視したりすることが起きるかもしれない。

情報分析官がどのように結論に至ったかは、「ホイヤーの表」を使えば追跡できる。こうした記録は、あとから出てきた証拠によって、結果に疑念が生じたり、情報報告のいくつかが策略として周到に捏造されたのではないかと考えられたりするときに大いに役立つ。

[レッスン5]では2003年にアメリカ・イギリス・ドイツの情報分析官がイラク人亡命者の意図的な報告にどのように騙されて、サダム・フセインが生物兵器を製造する移動式施設を保有していると信じるようになったかを考察する。

いまアメリカとイギリスの諜報機関は、体系的分析手法の1つとしてホイヤーの表を用いて対立する仮説を分析している。この手法は、日々の問題について、異なる説明を順序立てて検証しなければならない場合にも使える。

ホイヤー自身は、アメリカ最初の外交官ベンジャミン・フランクリンが、1772年にイギリスの科学者で酸素を発見したジョセフ・プリーストリーに出した手紙のなかで、判断をくだす手法について説明したのを引用している。

「1枚の紙のまんなかに線を引く。片方の欄に支持、もう片方の欄に不支持を書く……それぞれの欄の上部に動機の手がかりとなるものを短く書く。こうして表にまとめてから、それぞれの重要性を相対的に評価する。左右のどちらも同等に思える項目は、打ち消し線を書いてリストからはずす。このように進めて、均衡がとれるところを見出し決定する」

どんな場合でも、相反する証拠は存在すると考えられるので、最後に重要性を比較する必要がある。科学的手法の考え方に従えば、有利な証拠が最も多い仮説ではなく、不利な証拠が最も少ない仮説を選択するべきだ。そうすれば、無意識のうちに気に入った仮説を裏づける証拠を集めてしまうことを避けられる。日々の意思決定においても、このようなやり方をとり入れてみてはどうだろうか。

気に入った理論を立証するよりも、別の理論の誤りを立証することが重要なときもある。たとえば、アメリカ大統領選挙について考えてみよう。2016年の選挙では、多くの「フェイクニュース」が流された(ロシアの諜報機関が、ヒラリー・クリントン候補の信用を傷つけるような話を捏造して広めたのもその1つだ)。ネットでは、若き日のドナルド・トランプの写真と1998年のピープル誌のインタビューで述べた主張が拡散された。

「立候補するなら共和党からだな。共和党員はアメリカで最も愚かな有権者集団だ。FOXニュースの言うことなら何でも信じる。嘘をついてもうのみにしてくれる。大量の票が獲得できるだろう」

実にトランプらしい言いぐさだが、唯一の問題は、トランプがピープル誌にそうは語っていないことだ。ピープル誌を調べれば、仮説は否定される。つまり、こうしたインタビューはなかったのだ。

これは反証可能な例であり、トランプがそう言ったという仮説は、調べればすぐに正しくないことが証明できる(もちろん、これはほかの反トランプ報道も同じように嘘だと主張するための策略かもしれない)。一方、信念や動機といったものは反証が難しく、明らかな証拠を示すことができない。そのため、「ホイヤーの表」のように、仮説を支持する証拠と否定する証拠を検討して判断する必要がある。

デビッド・オマンド(David Omand)
英ケンブリッジ大学を卒業後、国内外の情報収集・暗号解読を担う諜報機関であるイギリスの政府通信本部(GCHQ)に勤務、国防省を経て、GCHQ長官、内務省事務次官を務める。内閣府では事務次官や首相に助言する初代内閣安全保障・情報調整官(日本の内閣危機管理監に相当)、情報機関を監督する合同情報委員会(JIC)の委員・議長の要職を歴任したスパイマスター。『イギリス諜報機関の元スパイが教える 最強の知的武装術 ――残酷な時代を乗り切る10のレッスン』を刊行。