SNSが誕生した時期に思春期を迎え、SNSの隆盛とともに青春時代を過ごし、そして就職して大人になった、いわゆる「ゆとり世代」。彼らにとって、ネット上で誰かから常に見られている、常に評価されているということは「常識」である。それゆえこの世代にとって、「承認欲求」というのは極めて厄介な大問題であるという。それは日本だけの現象ではない。海外でもやはり、フェイスブックやインスタグラムで飾った自分を表現することに明け暮れ、そのプレッシャーから病んでしまっている若者が増殖しているという。初の著書である『私の居場所が見つからない。』(ダイヤモンド社)で承認欲求との8年に及ぶ闘いを描いた川代紗生さんもその一人だ。当連載では、「承認欲求」という現代社会に蠢く新たな病について様々な角度から考察してきたが、今回はコロナで変わってしまった価値観について考察する(本編は書籍には含まれていない番外編です)。

「飲み会に使う時間は無駄」という言葉の意味が変わってきたPhoto: Adobe Stock

「飲み会に参加する時間は無駄」という定説

「一流になりたければ飲み会に参加するのはやめましょう。時間の無駄です。いいことはひとつもありません」

 先日、YouTubeを見ていたときのことである。若くしてビジネスで成功したらしい人の動画をたまたま見つけて開いてみた。彼の語る仕事術や成功法則はじつにわかりやすく、たしかにそのとおりだなと思うことばかりだった。

 飲み会に参加する時間は無駄。

 おっしゃるとおり。

 飲み会に行ってだらだらと話し、仕事の愚痴を言いあい、酔っ払ったあとには記憶をなくして何を話したんだかさっぱり覚えていない。翌日は二日酔いで仕事にならず、ポンコツ化して効率が下がる。ああ、あんなに飲まなきゃよかったと思うのに、なんだかんだで誘われたらまた参加してしまう。

 そんなのバカのすることだろう、と思っていた。やりたいことがたくさんあって、成長意欲の強い人間にはそんなことに費やす時間はない。

 私は有意義なことにだけ時間を使い続けたい。きっと今後もこの考え方は変わらないだろう。

 そう思っていた。

 ……そう思ってた、んだけどなあ。

 バカなのは私だったね。あまりにも考えが短絡的すぎた。

 本当は、ああやって過ごした記憶に支えられて日々、私は生きてたんだなとつくづく実感している。