SNSが誕生した時期に思春期を迎え、SNSの隆盛とともに青春時代を過ごし、そして就職して大人になった、いわゆる「ゆとり世代」。彼らにとって、ネット上で誰かから常に見られている、常に評価されているということは「常識」である。それゆえ、この世代にとって、「承認欲求」というのは極めて厄介な大問題であるという。それは日本だけの現象ではない。海外でもやはり、フェイスブックやインスタグラムで飾った自分を表現することに明け暮れ、そのプレッシャーから病んでしまっている若者が増殖しているという。初の著書である『私の居場所が見つからない。』(ダイヤモンド社)で承認欲求との8年に及ぶ闘いを描いた川代紗生さんもその一人だ。「承認欲求」とは果たして何なのか? 現代社会に蠢く新たな病について考察した書き下ろしエッセイ。

誰かの悪口を言うことでリーダーシップを発揮する人Photo: Adobe Stock

自覚なく悪口を言ってしまうリーダー、あなたの周りにもいませんか?

「リーダーシップの取り方」にはさまざまなメソッドがあり、心理的安全性やらフィードバックのやり方やら、世の中にはそういったチームを引っ張るための方法を伝えるコンテンツが溢れている。

 が、私は子どもの頃から本当につくづく思うのだが、チームの団結力を高める一番手っ取り早い方法は「特定の誰かの悪口を言うこと」なんじゃないかしら。

 これまでの人生で、その手法を使ってリーダーシップを発揮する人を、学校やら習い事やら部活やらサークルやらアルバイト先やら職場やら、本当に様々なコミュニティで見てきた。それこそ幼稚園児くらいの幼い頃から、はっきりと認識はしていなくとも、なんとなく「コミュニティというのはこういうもん」と、処世術の一つとして知っていたような気がする。

 で、そういう人たちを何人も見てきて、そういうリーダーシップの取り方で運営されているコミュニティに所属してきてつくづく感じるのは、ほとんどの場合、悪口を言っている側に「自分が悪口を言っている」という自覚はない、ということだ。本気で「そいつが悪い」「自分は悪くない」と思っていて、これがまたタチが悪い。

 リーダー自身も、そのコミュニティを構成する周りの人間も悪口を言っている自覚はなくて(あるいは気が付かないふりをしていて)、「あの人の穴を埋めるためになんとかしなきゃ」と本気で思っているだけなのだ。自分たちは「悪口を言っている集団」ではなく「組織の課題を解決するために話し合っている正義の集団」だと本気で思い込んでいる。