基礎・基本の意味を問い直す

森上 20年代には、共通テストが典型ですが、入試問題が長文にならざるをえない点が挙げられます。こうした問題の読解力を、中学受験の勉強以外の何で身に付けさせることができるのでしょうか。

石田 実際、最近の算数の入試問題では、文章を読むことに重点が置かれた問題がたくさん出されています。その点、武蔵の算数問題は全然変わらないように見えますが(笑)、でもこれはこれでシンプルな問いかけに答えられた素直な生徒を、私たちが入学後には伸ばします、という学校の意思表示なのだと思います。

 しかし、文章を読む力は明らかに衰えています。先日も「四角形ABCDの辺BC上を動く点PとAを結ぶ」という文を読んだ生徒が、なぜか辺AD上にAとは異なる点をとり、それとPとを結ぶ線を書いていました。なぜAとPを結ばないのかと尋ねると、「こんな感じかなと思った」と答えが(笑)。文章を読んで、そこに書いてあることを受け止めない。自分の勝手な方向に走っていく子がすごく多い印象があります。

 文章が読めない。意味がつかめない。「ここに書いてある」と指摘してもそれでも気が付かない。与えられた条件を正しく読み取ることが大きな課題となっているのが現状です。

森上 それは子どもたちの意識が非常に散漫なのでしょうね。デジタル世代で、紙に書かれた活字に慣れていないのかもしれません。

石田 教える側の姿勢が影響している側面もあると私は思っています。先生の側が、解き方を覚えて後は練習をすれば良い、という指導をしてしまっていると、子どもの側が受け身になってしまうという問題です。

 そこには、簡単な計算問題が処理できることが“基礎・基本”なのだという誤解があると思っています。よくあるのが、数学の先生が問題集を渡してノートを提出させる、それを3回、4回と繰り返す。中学でよく見られる指導です。生徒は当然、ヘロヘロになります。しかしまずこれは数学ができる子にとってはつらく、無駄な作業にほかなりません。

 指導は減点方式になりがちです。計算間違いをすると大きく×を書く。生徒からするとダメの烙印(らくいん)を押されたように感じてしまう。そうすると間違いを恐れて生徒は萎縮し、新しいことには手を出さなくなっていきます。

 問題文を読んでそこから数式を取り出す作業は、いろいろなモデルを頭の中で考え、当てはまるものを探す作業なので、試行錯誤が必要です。ところが、まじめな子ほど、間違えることを恐れてこの試行錯誤ができずに、結局知っているパターンのみをこなすようになります。

――確かに、ノートを提出させられた記憶があります。このような隘路にはまらないようになることが中学受験の第三の利点となりそうです。

石田 具体的な問題を目の前にしたとき、自分であれこれ試行錯誤しながら考えてその本質を捉える、そういう力が数学で身に付ける重要な力だと思います。算数入試はそういうものにつながるものとして捉えてほしいと思います。実際、先生が言った通りのやり方を覚えるだけの子は、中学以降、応用問題が出たときに、自分で問題に向き合う前にまず解き方を教えてほしい、となります。特に高校になると、数学はより抽象化しますので、具体的な問題から本質を抜き出す訓練をしていない子は、成績が急降下してしまい、数学嫌いになってしまいます。

“基礎・基本”とは「簡単なこと」ではなく、算数・数学で必要な学ぶ姿勢を身に付けるということだと思います。中学では計算ができればいいとして高校に送り込んでいるような場合に、特にこの点についての誤解があるように思います。小中での学びが大学での学びにどのようにつながるのかを理解できていないと、例えば今回の共通テストの数学の問題を見て、「こんなものは数学じゃない」と思ってしまうのではないでしょうか。

――そうならないためにはどうしたらいいのか、「中学受験と大学入試の間にあるもの」と題して、石田先生による短期集中連載を「2020年代の教育」で始めますので、中学受験を考える保護者の方には、ぜひご覧いただければと思います。第1回は、平均点が恐ろしく下がった数学IAについて、詳しく見ていきます。