『独学大全──絶対に「学ぶこと」をあきらめたくない人のための55の技法』を推してくれたキーパーソンへのインタビューで、その裏側に迫る。
今回は特別編として、日本最高峰の書評ブロガーDain氏と読書猿氏のスゴ本対談「世界史編」が実現。『独学大全』とあわせて読みたい世界史の本について、縦横無尽に語ってもらった。(取材・構成/谷古宇浩司)
第1回 本好きの度肝を抜く! 年末年始に必読の「世界史スゴ本」ラスボス的一冊
第2回 本好きもうなる!「歴史の学び直し」に最強のスゴ本ベスト4
「感染症」の歴史から何がわかるのか
Dain:今回の「世界史」対談をしようって話が来た時に最初に考えたのが「なぜ世界史か?」だったんです。
いま、私は高校の教科書を毎日読んでいるんです。山川出版社の『詳説世界史B』と『詳説世界史研究』を読了し、今は読書猿さんお薦めの帝国書院『新詳世界史B』に取り組んでいます。
どうして、私は今、世界史をやり直しているだろうか? 単純に面白いから、というのもあるけれど、振り返ってみると、面白いだけじゃないことに気づきました。
あることに興味があって、その興味の詳細を調べていくと、必ずその興味の対象の「歴史」に行き当たります。その由来がどうなっているとか、なぜ、いまこうなっているのか。そして、その興味の対象の歴史を紐解いていくと、普遍性を持っていることがわかる。時代や地域を超えた何かがある。共通項は「人」なんだろうけれど。
自分のブログを「ログ」と見なして、「〇〇の歴史」や「〇〇の世界史」で検索すると、私が何に興味を向けてきたか、浮かび上がってきます。
食、胡椒、疫病、砂糖、戦争、土木、不潔、工学、テクノロジー、情報、ホモセクシャル、会計、官能、読書、醜、美、ローマ、マネー、地震、銃、飛行技術、遊牧民、コンドーム、文明、都市、お尻、ヌードル、数学、がん、医療……。
で、こうした興味のネットワークは、あくまでそのモノや概念から見た世界史になる。そうしたバラバラのネットワークを、ひと連なりのまとまりで見ようとすると、必然的に「世界史」になるのでは……? という仮説を持っています。
読書猿:Dainさんが箇条書きで挙げてくださったテーマ、ひとつひとつ全部語りたいですね(笑)。
例えば新型コロナウィルスでいっきに注目されるようになった「疫病」。このテーマだと、マクニールの書いた『疾病と世界史』がとにかく凄いんですが。これは凄すぎて、どこから話すべきか。
まず1975年くらいに書かれたというのがびっくりです。疫学も今ほど進んでない時代に、歴史家が生物の歴史=進化学まで組み込んで、世界のどこでも通用するような仮説を組み上げる。素朴な問いに、人類の歴史全部を理解し直して答えてやる、という。
どれも凄いんですが、まず感染症と人間社会が相互に適応することで、文明のサイズと様式が決まっていく、という仮説ですね。どうしたらこんなこと思いつくことができるのか、と。
Dain:私も読んだのですが、同じ箇所を凄いと思いました。
イギリスがインドを植民地化したときのエピソードがあるんですが……インドに鉄道や蒸気船が導入されたことにより、それまで届かなかった範囲にコレラが広がるようになったという話です(※新潮社版のp.234~237)。
それまでは、コレラに感染しても、潜伏~発症~身動き取れなくなるまでの期間は、「徒歩」だったので、感染が広がる範囲も徒歩圏内だった……けれども、イギリスによる鉄道や交通網への資本投入により、徒歩では届かないところまで、コレラが運ばれるようになった、という仮説です。
これを裏返すと、感染症の範囲内(=免疫を持つ人々の範囲内)が、その文化としてのアイデンティティが保てる範囲と重なりますね。
読書猿:インドのカースト制度「不可触賤民」の起源は、亜熱帯ゆえに多い感染症への対策だった、という話がありますね(※新潮社版では2章の最後に出てきます)。あと、近くはアパルトヘイトも、ペストの第三次パンデミックが南アフリカまで及んで、感染症対策として行われた隔離が起源になっているそうです(注1)。
ヒトという生き物がまだ小集団で暮らしていた時は、感染させる相手が少なすぎて、ヒトだけを宿主にした感染症が成立しない。ムシとか貝とか小動物を中間宿主にする感染症がメインになる。
農業で成立して人口密度が増えると、中間宿主を介して感染するよりも、人から人へ直接感染する効率の方が上回って(このあたり経済学的なセンスも感じます)、次第に人から人へ伝染る感染症が主流になっていく。
マクニールは、ミクロ寄生とマクロ寄生という概念を使って、病原体と軍隊(あと国家なんかも含みます)を互換的に取り扱います。ここも凄いですね。
たとえば人口密集地=都市は感染症のプールになるわけですが、これが他の文明からすると脅威になる。その都市の人は免疫があるけれど、他の人はその感染症に免疫がないので。都市と住民がそのまま生物兵器というわけです。
そして軍隊というのは、四六時中寝食を共にし、高速で移動する密集人口なわけです。これって感染症を広めるにはもってこいなんですよ。まさにモバイルな感染症プール、自走する生物兵器そのもの。
Dain:マクニールのこの本にあったかわかりませんが、『ウイルスの意味論』(山内一也、みすず書房)のモンゴル兵が連れていた灰色牛(グレイ・ステップ牛)を思い出しました。この灰色牛が自走する生物兵器、モバイルな感染症プールになります。
この灰色牛は、牛疫に強い抵抗性があり、感染しても症状をほとんど出すことなく、数ヵ月にわたってウイルスを糞便で排出し続けることになります。
一方、普通の牛は耐性が低く、致死率70%の毒性があるという、恐ろしい伝染病です。
モンゴル兵は、物資の運搬+食料として、灰色牛を用いており、モンゴル兵の行く先々で、牛疫をまき散らし、農耕や食料の要となる牛を全滅させていったとあります。結果、遠征先の国力が衰退し、征服されるがままになった……という説です。
モンゴルというと機動力のある騎馬兵や、熟練した弓の使い手による高い戦闘力を思い浮かべますが、それだけでなく、連れて行った灰色牛が生物兵器だったという仮説です。
読書猿:文明と感染症が均衡関係にたどり着くには、幾度も人口増加→感染症爆発→人口減少→免疫獲得→人口増加→……というサイクルを繰り返す必要がある。中国とヨーロッパはようやく10世紀にこれを達成して、以後、人口増加を達成するとともに、周囲の文明、アジアとアフリカを自身の疾病循環圏に組み込んで相対的に優位に立つ。感染症の中心文明と周辺文明。いやもう、疾病世界システムじゃないですか。
ところが、13世紀にはペストという未知の感染症が、文明の間の「疾病交換」によってヨーロッパを襲い、蹂躙する。これが中世を終わらせる。カトリックの典礼に対する人びとの信仰心を揺るがし、知的世界ではスコラ哲学を終わらせて、神秘主義を興隆させる。あるいは懐疑主義と冷徹な個人のモラルに基礎を置く新しい思想を生み出す。こうして近代が始まります。
マクニールのもう1冊のスゴ本『戦争の世界史』
Dain:同じ著者、マクニールの『戦争の世界史』もスゴ本ですね。疫病と同様「戦争」は、人類を語る上で欠かせないキーワードだと思います。
残念なことですが、人類の歴史は戦争の歴史ともいえます。乱暴すぎるので丁寧に言い換えると、戦争という切り口で、以下が浮き彫りにされます。
・各勢力(言語、文化、宗教、国家)の配置や力学が見える
・戦争技術の発展は、各時代の最先端テクノロジーの成果が見える
『戦争の世界史』は、これを見事に実現しています。
最初は大規模な略奪行為だったものから、略奪と税金のトレードオフが働き、組織的暴力が商業化します(商業としての戦争)。戦争という技芸(art of war)を駆使する専門家が王侯と請負契約関係を結びます。
軍事・商業複合体が形成され、ライバルとの対抗上、税金で軍事専門家を雇って戦ってもらい、支出が有効需要として経済を刺激する。そこで増加した税収でさらに軍事力が高度化し(産業としての戦争)……というフィードバックループが、ヨーロッパを優位に立たせたという主張です。
読書猿:戦争は、装備にしろ兵員にしろ、数を揃えた方が勝つので、とにかく金がかかる。負けたらすべてを失うと思うと、その社会や経済のあり方を根本的に変えてしまうぐらいまで、資金だけでなく、人材も資源も、その他あらゆるリソースを投じることになる。
第一次・第二次大戦の話も興味深いですね。軍拡と経済成長のフィードバックループを経験済みのおかげでマネーによる「調達」で数を揃えた国(イギリス、アメリカ)と、それが難しくて権力による上からの「支配」でリソースを動員した国(ドイツ、日本、ソ連)。長い目で見ると、それが趨勢を分けた一因と言えるかもしれない。いずれにせよ、次に対談する経済の話につながっていきます。
Dain:テクノロジーとしての戦争は、『戦争の世界史 大図鑑』(R・G・グラント、河出書房新社)で実際に見ることができます。年月日、原因・経過・結果・影響を概説しています。さらに、決戦が行われた場所の地図や戦術構成、兵力、戦闘技術、死傷者数を網羅しています。
その中で使われた様々な武器の変遷を見ると、まんま最先端の技術の歴史になります。たとえば1850年頃のミニエー弾は、銃身内に腔線(らせん状の溝)が刻まれて、弾丸が旋回することで、射程も精度も飛躍的に向上しています。
ナポレオンの時代では、太鼓に合わせて行進し、敵の前で密集隊形を組んでいましたが、射撃性能向上で、格好の的になります。そのため、戦列を作って圧倒するのではなく、散開方式が中心になったとあります。
書評ブログ「わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる」管理人
ブログのコンセプトは「その本が面白いかどうか、読んでみないと分かりません。しかし、気になる本をぜんぶ読んでいる時間もありません。だから、(私は)私が惹きつけられる人がすすめる本を読みます」。2020年4月30日(図書館の日)に『わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる』(技術評論社)を上梓。