初の著書『伝わるチカラ』を上梓するTBSの井上貴博アナウンサー。実はアナウンサーになろうとは1ミリも思っていなかったというのだが、一体どのようにして報道の第一線で勝負する「伝わるチカラ」を培ってきたのだろうか?「地味で華がない」ことを自認する井上アナが実践してきた52のことを初公開! 人前で話すコツ、会話が盛り上がるテクなど、仕事でもプライベートでも役立つノウハウと、現役アナウンサーならではの葛藤や失敗も赤裸々に綴る。
「先輩をライバル視」で伝わるチカラをのばす
【前回】からの続き
私は関西出身である両親のもと、東京に生まれました。12歳年上の姉、9歳上の兄を持つ3人きょうだいの末っ子です。
姉も兄も、年の離れた弟である私を、子どものように可愛がってくれました。特に一回りも年上の姉は私にとって“サブママ”のような存在であり、ケンカをしたこともなければ、怒られた記憶もないくらいです。
あとから振り返ると、姉兄と年が離れているという事実が、人格形成に大きく作用したのは間違いありません。幼い頃から姉と兄を見てきた私には、「大人はこうすれば喜ぶ」「こういうことを言うと怒られる」というのが、おおよそわかっていました。
ときには親の心配を先回りして、あえて自重するようなこともありました。自分のことながら、ずいぶんませた子どもです。
物心ついたときから、家庭は私にとって“大人っぽい空間”でした。家族のなかで子どもは私だけ。いつも1人だけとり残されているような感覚があったのです。
小学校から野球漬けの少年だった私は、毎日ユニフォームを泥だらけにしながらボールと格闘していました。
「今日は試合でヒットを打ったよ!」
「強いチームを相手に逆転勝ちしたんだよ!」
小学校6年の頃、そんな報告をするつもりで帰宅すると、両親と兄が何やら真剣な表情で家族会議をしていました。9歳上の兄が、早くも就職活動を迎えていたのです。
両親と兄が交わす会話は、小学生の私には意味不明でした。「商社」とか「外資系」などと言われても、何のことやら見当もつきません。
当時の私は、自分だけ圧倒的な子どもであることを歯がゆく思っていました。同時に、兄の世代と同じ舞台に立って勝ちたい、10歳年上に勝てば大人として認めてもらえる、という考えが芽生えました。
姉は私たち弟を責めることもなく、常に温かい目で見守ってくれる存在でした。姉からは人としての優しさを学んだように感じています。
一方、兄は姉と同じように尊敬の対象ではありましたが、ひそかにライバル視する対象でもありました。小さい頃、私は兄から「たかちゃん」と呼ばれていました。貴博なので「たかちゃん」です。
ところが「たかちゃん」は、ときどき「あかちゃん」に聞こえました。兄は、可愛さの余り9歳年下の弟を「あかちゃん」と呼ぶことがあったのです。
兄にしてみれば親しみの表現なのでしょうが、私には不満でした。そうやって子ども扱いされた経験の1つひとつが、年上への対抗心を養いました。
「年上の人に勝ちたい」という思いは、いまでも心のなかに熾火(おきび)のように残っています。
新聞の取材などで、「同世代のアナウンサーのライバルは?」と問われることがありますが、あまりピンときません。同世代のアナウンサーにも優秀な人はたくさんいますが、どうやら私は、幼少期の体験から同世代の人をライバル視する視点を持ち合わせていないようなのです。
2007年にTBSに入社したときも、強烈に意識したのは兄と同世代で10年先輩の安住紳一郎さんでした。私のなかで、安住さんは尊敬する大先輩であると同時に、「戦って勝ちたい相手」でもあります。生意気な後輩ですみません!
【次回に続く】
TBSアナウンサー
1984年東京生まれ。慶應義塾幼稚舎、慶應義塾高校を経て、慶應義塾大学経済学部に進学。2007年TBSテレビに入社。以来、情報・報道番組を中心に担当。2010年1月より『みのもんたの朝ズバッ!』でニュース・取材キャスターを務め、みのもんた氏の不在時には総合司会を代行。2013年11月、『朝ズバッ!』リニューアルおよび、初代総合司会を務めたみのもんた氏が降板したことにともない、2代目総合司会に就任。2017年4月から『Nスタ』平日版の総合司会。2022年4月から自身初の冠ラジオ番組『井上貴博 土曜日の「あ」』がスタート。同年同月、第30回橋田賞受賞。同年5月、初の著書『伝わるチカラ』を刊行。