やっぱり私、おかあさんと違う人間でいたいと思う

そしてつい、数日前のことです。

母と久々に、二人で食事をしました。グリルで焼いた鯖と、お赤飯と、味噌汁、祖母が持ってきたおしんこ。母の料理を食べるのは、そして、母と一緒に話しながら食べるのは、なんだかとても久しぶりのような気がしました。やはり祖母が届けてくれたお汁粉をふたりで食べながら、ゆっくりと話をしました。

おかあさん、私やっぱりね、小説やりたいと思う。いけるとこまで、挑戦してみたい。本当に好きだから。

驚くほどすんなりと、言葉が出てきました。無意識のうちに、発していました。
そっか、うん。大変だろうけど、頑張れ。ただ、体だけは壊さないように。
思いっきり反対するだろうと思っていた母は、そう言いました。
そうです。母は、生半可な気持ちじゃなく、私が本気でやりたいと思ったことには、絶対に反対しない。

そう、衝動的に言ったことじゃない限り、反対しない人でした。そういう人なんです。本気で私に幸せになってほしいと思っている人なんです。私がどんな形であれ、幸せでいてくれればそれでいいのです。

ああ、母を心配させていたのは、母が心配性だからではけっしてなく、私が心配をかけるような生き方をしているからだと思いました。

それなのに全部母が悪いと決めつけ、私をわかってくれないと思い続けていたのは、そうするのが楽だったからです。自分じゃなく、母に責任を負ってもらったほうがずっと楽だから。逃げられるから。自分の嫌な部分と向き合わなくて済むから……。

母が、子育てイコール自分のアイデンティティだと思っておくほうが、都合がよかった。自分が頑張れないのは母のプレッシャーがあるからだと思っておきたかったんです。

だから自分が一番悪くない結論に結び付けようと、勝手に母の歪んだ性格を妄想し、ストーリーを作り上げました。本当は母が愛情を持って私に接してくれていることをわかっていても、見ないふりをして、きっと母は母自身のために子育てをしてきたんだと思おうとしていました。

なんてひどい。意地汚いことをしてしまったんだろう。ずっと大切に育ててくれたおかあさんなのに。

おかあさん。ごめん。ごめんね。
おかあさん。
おかあさん、おかあさん、おかあさん……。

私は、本当に母のことが好きなんです。私は執着心が本当に強い人間なので、全部一緒がよかったんです。でも母が自分の知らない世界のことを語るようになって、むきになって私も自分の世界を広げようとしたのかもしれません。

でも、おかあさん、こうも思うの。

結果として、これでよかったのかもしれない、って。

私たちは、仲が良すぎて、違う人間だということを、ちゃんとは理解してなかった。本当にそっくり同じ分身みたいに思ってるところがあったから。

でもやっぱり私、おかあさんと違う人間でいたいと思う。

そうじゃないとおかあさんにいつまでも心配かけちゃうし、恩返しもできないし。

私これから、自立するよ。心配かけないように。

おかあさんに、紗生は幸せなんだって思ってもらえるように、やりたいことを精いっぱいやる。

だからおかあさんももう、私から解放されていいんだよ。

もちろん一生家族だし、親子だけど、もうおかあさんは、お母さんじゃなくなってもいいんだよ。私の母親なんかじゃなく、一人の人間として、自分の好きなことをやっていいんだよ。

いつまでも、甘えてばかりの娘でごめんね。

まだ社会にも出ていないからわからないけれど。

これでようやく私は、母を解放してあげられるのかもしれません。

22年も、私のためにひたすらに尽くしてくれた母を。

こうして考えるとやはり、反抗期というのはあるべくしてあるというのか、いくら遅れてきたとはいえ、やはり反抗期がきてよかったなと思うのです。一度は親を鬱陶しく思うというプロセスを経ないと、本当に理解し合うことは難しいのかもしれないから。

反抗期を経験したことは、ありますか?

私は、ありません。より正確に言えば、22歳まで、ありませんでした。

その真っ最中には、苦しくて仕方ないけれど、反抗してようやく得られた母との絆がありました。

依存し合うのではなく、お互い違う人間として認め合ったうえでの新たな親子関係とは、なんと素晴らしいものでしょうか。

私はリビングのソファの上でうたたねをしている母に毛布をかけるとき、なぜだかひどく、泣きそうな気持ちになるのです。

親にまったく反抗したことのない私が、22歳で反抗期になって学んだこと川代紗生(かわしろ・さき)
1992年、東京都生まれ。早稲田大学国際教養学部卒。
2014年からWEB天狼院書店で書き始めたブログ「川代ノート」が人気を得る。
「福岡天狼院」店長時代にレシピを考案したカフェメニュー「元彼が好きだったバターチキンカレー」がヒットし、天狼院書店の看板メニューに。
メニュー告知用に書いた記事がバズを起こし、2021年2月、テレビ朝日系『激レアさんを連れてきた。』に取り上げられた。
現在はフリーランスライターとしても活動中。
私の居場所が見つからない。』(ダイヤモンド社)がデビュー作。