鎌倉殿・源頼朝が建立した巨大寺院の謎、正史「吾妻鏡」に出てこない意味深ぶり源頼朝は、本拠地の鎌倉だけでなく、鎌倉から見ればかなり遠方の、飛騨山中の奥深くに巨大な寺院を建立していたという伝承がある(写真は「頼朝の三大寺社」の一つ、鶴岡八幡宮) Photo:PIXTA

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」―― 現在、源平合戦の佳境を迎えており、毎週楽しみに待っている方も多いのではないでしょうか。日本史の中でもひときわ大きな戦いとして知られていますが、じつはその後、鎌倉幕府になってからのあまり知られていないエピソードがあるのをご存じですか。そこで今回は、新晴正さんの著書『日本史 “その後”の運命』(青春出版社)から、源頼朝が建立したという巨大寺院について抜粋紹介します。

“頼朝の寺”をめぐる不思議な話

 源氏の棟梁(とうりょう)、 源頼朝が鎌倉で幕府を開いたとき、頼朝は実に多くの寺社をこの鎌倉周辺に建立(こんりゅう)していた。その中でも、鶴岡八幡宮、勝長寿院(しょうちょうじゅいん)、永福寺(ようふくじ)は「頼朝の三大寺社」と呼ばれている。

 鶴岡八幡宮は康平(こうへい)六年(1063年)、河内(かわち)国(大阪府の南東部)を本拠地とする河内源氏二代目の源頼義(よりよし)が、京都の石清水(いわしみず)八幡宮を勧請(かんじょう)して創建した鶴岡若宮を前身とする。以来、関東武士の守り神として永く崇敬を集めた。