大国のエゴによって再び戦争が引き起こされた。長期化する戦争の被害者となるのは市民であり、ウクライナでも惨劇は繰り返されている。大国の軍事力が小国を蹂躙(じゅうりん)する覇権主義、それは近代国家成立の150年前に「東洋の小国」日本が直面した事態でもあった。ペリー提督率いる黒船襲来が幕末の始まり――と広く認識されているが、実はペリー以上に直接、維新という変革に関わり、影響を及ぼした一人の若き外交官がいた。(ジャーナリスト 桑畑正十郎)
維新の目撃者、アーネスト・サトウ
知られざる近代化のキーパーソン
日本史の授業では、幕末に開国を迫った米国艦隊のペリー提督や、日米修好通商条約を将軍に締結させたハリス総領事は欠かさず教えられる。一方で、英国公使や仏国公使らの名前は教科書に出てくるものの、さほど重きを置かれていない。即答できる方はよほど歴史好きだろう。
同様に注釈や副読本(学習参考書)に説明されているものの、多くの人はその功績を知らない外交官がいる。英国公使館の通訳を務めていたアーネスト・サトウ、彼こそ日本の近代化を左右した文字通りのキーパーソンだ。
若き通訳・サトウの記述もいたって簡潔だ。
〈アーネスト・メイソン・サトウ(Ernest Mason Satow)は幕末期に活躍した英国の通訳官・外交官。維新後は駐日英国公使となった。日本語に堪能で日本文化に造詣が深く、幕末期の外交交渉の場を通じて西郷隆盛、大久保利通、伊藤博文、勝海舟、徳川慶喜といった数多くの要人たちと接触を持った。また、著書『一外交官の見た明治維新』(A Diplomat in Japan, 1921)は維新史研究の上で重要な史料となっている〉
近年の歴史小説や大河ドラマなどでは、その著書の記録から往々にして「維新の目撃者」として描かれがちだが、上のような記述では日本の歴史にとっての重要性は伝わってこない。単に“目撃者”というだけでなく、彼の日本滞在が幕末・明治の激動と深く結びついていたことは、ぜひ覚えておいていただきたい。