徳川家康が難攻不落の江戸城を築いた「逆転の発想」 、マッカーサーとの共通点も桔梗門 Photo:PIXTA

長きにわたって続いた徳川幕府の拠点となったのが江戸城だ。実は、江戸城の防衛戦略は、それまでの城とは一線を画している。将軍・徳川家康は、敵も“はなから攻めようとは思わなくなる”類を見ない防衛システムを江戸に築き上げたのだ。江戸の防衛システムは何が優れていたのか。詳しく見ていこう。(作家 黒田 涼)

「難攻不落の城などない」
“逆転の発想”で造られた江戸城

 城ブームの中で、よく「難攻不落の城」などという言葉を聞くが、これはウソである。攻めにくさの程度の差はあれ、城は基本的に攻められたらだいたい落ちるもの。動員力が飛躍的に増大した戦国末期になると、完全に包囲した上で兵糧攻めが行われれば落ちなかった城はない。豊臣秀吉が精力を傾けて築いた大坂城でさえ落城した。だから「史上最強の城はどこか」などというテレビ番組や雑誌の企画を目にするが、あまり意味があるものとは思えない。 

 しかし唯一、例外的に「難攻不落」といえる城がある。江戸城だ。江戸城はそれまでの城と根本的に別次元の防御戦略を築いていた。それはある意味、「攻め落とされない城を造る」のではなく、「城は攻められたら落ちる」との逆転の発想で計画されたものだ。徳川300年の太平の世を築いた偉大なプランナー、徳川家康ならではの「多重防御都市」江戸の実態を見ていこう。