現代は、「課長」受難の時代だ。メンバーの価値観の多様化、働き方改革への対応などに加え、リモートワークへの対応という難問まで加わった。しかし、これを乗り越えれば、新たな「課長像」=「課長2.0」へと進化できる。そう主張する『課長2.0』がロングセラーとなっている。著者は、『社内プレゼンの資料作成術』などのベストセラーで知られる前田鎌利氏。管理職は「自分の力」ではなく、「メンバーの力」で結果を出すのが仕事。それはまるで「合気道」のようなもの。管理職自身は「力」を抜いて、メンバーに上手に「技」をかけて、彼らがうちに秘めている「力」を最大限に引き出す。そんなマネジメント手法について、ソフトバンク時代に管理職として目覚ましい成果を上げた経験を踏まえて書かれた内容に、SNSなどで「管理職として勇気づけられた」「すぐに実践できるヒントが詰まっている」と共感の声が寄せられている。本稿では、管理職が”老害”と言われるようになるメカニズムを指摘するとともに、年齢を重ねるごとにキャリアを拓く人になる「誰にでもできるコツ」について解説する。

“老害”と言われるか否か、それを決める「意外な違い」とは?写真はイメージです Photo: Adobe Stock

チャンスを「取りに行く」ために、
余力を生み出す

「セレンディピティ」という言葉があります。

 ご存じの方が多いと思いますが、偶然の出来事から思いがけない発見をする能力のことです。

 よく知られるのは、細菌の実験中にくしゃみをしたことがきっかけとなって、抗生物質のペニシリンが発見されたケース。このように、セレンディピティとは、当初の想定や目的とは異なる価値を発見する能力のことで、これによってイノベーションの多くは生み出されていると言われています。

 そして、課長クラスの管理職が求めるべきなのは、このセレンディピティではないかと、私は考えています。

 自走できるメンバーを育てて、なかば放っておいても結果を出すチームビルディングができれば、管理職は現場の仕事に埋没する必要がなくなるため、より自由な活動をする余力が与えられます。リモートワークにおいては、その自由度はなお一層高まるはずです。

 大切なのは、その余力を活かして、チャンスを「取りに行く」ことです。チャンスというものは待っていてもつかむことはできません。「取りに行く」ことで初めて与えられるものだと思うのです。

 もちろん、取りに行ったチャンスが手に入るとは限りませんが、それでいいのです。なぜなら、ひとつの場所にじっと留まっているだけではあり得なかったような「偶然の出来事」と巡り合い、そこから思いがけない「発見」をする可能性が格段に高まるからです。

「出会い」こそが、
セレンディピティの源になる

 私がそれをはじめて実感したのは、孫正義社長の後継者育成機関である「ソフトバンクアカデミア」の第一期生に選抜されたときのことです。

 当時、私は現場の管理職を務めていましたが、メンバーが成長したことによって、多少の余力が生じていたこともあって、「チャンスを取りに行こう」と思って応募したわけです。

 ここでは実に貴重な経験をさせていただきました。

 私の事業プレゼンが第1位を獲得して、それを機にグループ会社の社外取締役をはじめ多くのプロジェクトのマネジメントを任せていただくことができましたし、孫社長が社外に対して行うプレゼンの資料を作成するチャンスにも恵まれました。その一つひとつが、私にとってはかけがえのない経験でした。

 しかし、いま振り返ると、私にとって、ソフトバンクアカデミアで得ることができた最大の財産は「出会い」でした。そこに集まった人々との「出会い」こそが、セレンディピティの源となっていったからです。

 特に、ソフトバンク社外から応募してきた外部生との「出会い」は、私にとって衝撃的ですらありました。有名企業に勤務しているサラリーマンから、個性的な起業家までさまざまな人が集まっていましたが、その誰もが強烈な「念い(おもい)」をもっていたのです。よほどの「念い」がなければ、本業だけでも多忙をきわめているにもかかわらず、ソフトバンクアカデミアに参加しようと思わないでしょう。

 例えば、公的な科学技術機関に勤めている技術者は、こんな「念い」をもってロケット開発への情熱を燃やしていました。

 彼の最大の問題意識は、「なぜ戦争がなくならないのか?」ということでした。人類全員が「地球は一個しかない」ことに気づけば、それを大切にするために力を合わせるはずだ。そのためには、「とてつもなく弱い宇宙人」に攻め込んでもらうか、人類全員が一度宇宙へ行って、外から「一個しかない地球」を見るしかない。

 でも、攻めてくる宇宙人の強弱は、我々がコントロールできることではないし、そもそも、地球外生命体の存在はまだ証明もされていない。だから、戦争をなくすためには、人類全員を宇宙に上げるしかない。そして、そのためのロケットをつくらなければならないんだ……。

 荒唐無稽な話と思われる人もいるかもしれません。

 でも、きわめて優秀な技術者である彼は、本気でそう訴えるのです。私も初めて彼の話を聞いたときには、あまりにもぶっ飛んでいるので度肝を抜かれましたが、彼の「念い」に触れて、「世界をよくするって、いろんなやり方があるんだな……」と深く感じ入るものがありました。

「念い」が通じ合うことで、
人的ネットワークは広がる

 そして、「じゃ、自分なりのやり方ってなんだろう?」と考えました。思い出したのは書家としての経験でした。

 海外に行って、路上で書道のパフォーマンスをすると、幼い子どもから大人まで集まってきます。それで、筆ペンで相手の名前を書いてあげるだけでも、ものすごく喜んでくれて、「日本という国にはこんなヤツがいるんだ」「日本の文化っていいね」と思ってもらえます。そして、お互いに仲間意識のようなものが芽生えるのです。

 もちろん、それはとても小さい出来事です。

 だけど、「こういう人がいる日本という国と喧嘩はしたくない」と思う人を一人ずつ増やしていくことができれば、何百年後、何千年後には戦争がなくなっているかもしれない。「書」というものを通しても、世界平和に貢献することはできるはずなのです。

 そう思い至った私は、その「念い」を彼に伝えました。すると、今度は彼が深く共感をしてくれます。こうして私たちは「念い」が通じ合うことで、「仲間」と認識するようになり、お互いに「念い」の通じる知人・友人をどんどん紹介し合うようになっていったのです。

 これと同じようなことは、彼との間だけではなく、ソフトバンクアカデミアに集った多くの個性的でエネルギッシュな外部生たちとの間でも起きました。

 このとき痛感したのは、社内の人間関係は「同じ釜の飯を食う仲間」として自然と出来上がっていきますが、利害関係のない社外の人とは「念い」でつながるしかないということです。そして、「念い」でつながることができれば、そこから共鳴する「念い」をもつ人々へとどんどん人的ネットワークは広がっていくのです。

 この人的ネットワークが、私に新しいビジネスの「知見」や「種」「アイデア」を与えてくれました。それをソフトバンクでの仕事にフィードバックすることで、社内で新規プロジェクトを立ち上げるなど、より創造的な仕事ができるようになっていったのです。

“老害”と言われる人と言われない人、その「差」はなぜ生まれる?

 これは、まさにセレンディピティでした。

 ソフトバンクアカデミアにチャンスを「取りに行った」ときには、どのような出会いがあり、それがどのようなフィードバックをもたらしてくれるかなどということはまったくわかりませんでした。しかし、「念い」をもって新しい世界に飛び込んでいけば、必ず、自分の想定を超えるものに出会えるのです。

 ここに、これからの管理職の“あるべき姿”があるように思っています。

 これまで、課長クラスの管理職の多くは、チームを管理するために「職場」という空間に縛り付けられる傾向が強かったと思います。その結果、セレンディピティとはほど遠い環境におかれ、「思考」も「感性」も硬直化していかざるを得なかったのではないでしょうか? そして、いつしか”老害”と呼ばれるようになってしまうのです。

 しかし、ネット環境が整い、リモートワークが可能となった現代において、必ずしも「職場」に縛り付けられる必要はなくなりました。マネジメント技術を高度化することによって、「自由な行動力」を手に入れることができれば、硬直した組織を変えていく大きな原動力になるはずなのです。

ソフトバンクを退職して、「書家」として独立した理由

 ただ、これは企業に課題をもたらすことにもなるでしょう。

 というのは、セレンディピティに恵まれた管理職のなかには、自らの「念い」を果たすために転職・独立するという選択をする人も増えてくるはずだからです。

 私自身がそうでした。

 ソフトバンクアカデミアの外部生を起点に、社外の人的ネットワークを広げていた頃、私は、ソフトバンクにおいて、動画サービスでコンテンツを提供するビジネスにチャレンジすべく奮闘していました。

 携帯電話(スマホ)は一人一台にまで普及し、通信基地も増えたことにより、私の「念い」であった「どんなときでも大切な人とつながることができる環境をつくる」ことはほぼ達成されました。だから、次は、そのインフラのうえで、コンテンツ・サービスを提供したいと考えたのです。

 そして、外部の人的ネットワークも活用しながら、さまざまな企業・団体・個人と連携しながらコンテンツ開発をめざしました。

 また、自分の専門でもある書道を学ぶコンテンツの可能性も模索していましたが、当時はまだ4Gの時代。動画サービスを成功させるには時期尚早でした。私なりに精一杯努力しましたが、分厚い壁を前にプロジェクトを前進させることは難しかった。自分の力不足を思い知らされる経験でもありました。

 しかし、再び火がついた書道への「念い」は捨てがたかった。

 しかも、孫正義社長への尊敬の念はいまも変わりませんが、事業規模を拡大することに私自身の「念い」を重ねることができないことに気づきましたし、そもそも私よりもそれに貢献できる人材がいくらでもいることも認めざるをえませんでした。

 そして、私の周囲にはアカデミアで知り合った個性的な起業家たちがいました。

 彼らのなかには、すでに成功している人もいましたが、大半の人々は、高い志に向かう道半ばにありました。しかし、自分の「念い」に忠実に生きる気概溢れる姿は実に魅力的でした。その姿に刺激を受けた私は、思い切って「書家」として独立することにしたのです。

「新しい課長像」が企業を変える?

 だから、私は現在、多くの企業から管理職研修を依頼されたときに、必ず、このように伝えるようにしています。

「私の話を聞いた方のなかから、退職希望者が出てくるかもしれません。それでもよろしいですか?」

 反応はさまざまです。

 もちろん、躊躇される経営者もいらっしゃいますし、時には、研修依頼を取り下げる方もいらっしゃいます。しかし、このようにおっしゃる方もいらっしゃいます。

「それで構いません。これからの時代、『念い』のある社員に活躍してもらうことが絶対に必要です。そんな優秀な管理職が、ここで勤め続けたいと思えるような会社に、私はしていきますから」

 実に、頼もしい言葉ではないでしょうか?

 私は、「新しい課長像」の広がりは、企業のあり方そのものを問い直すきっかけになりうるのではないかと思っています。それが、建設的な変化を日本の企業社会に起こすことを期待しているのです。

(本稿は、『課長2.0』より一部を抜粋・編集したものです)