先の2回に分けてアート思考を取り上げてきた。現代にアート思考が求められる理由は、限界を迎えている資本主義を批判することが、資本主義の新しい価値になるから、というものだった。今回のテーマ、「人新世」で取り上げることは、資本主義が直面するもうひとつの限界について。すなわち、異常気象・気候変動、さらに有限な資源が前提になる地球において、旧時代的な経済成長と技術発展が持続できないという限界だ。そしてその中でひとは、企業はなにを、どのように生み出すのかーー。京都大学経営管理大学院の山内裕教授と京都工芸繊維大学の水野大二郎教授に聞く。(構成:森旭彦)

「人新世」とは何か?

 人新世、言葉は聞いたことはあるけれど、いまいちよく分からないという人も多いのではないでしょうか?

 人新世という言葉は、ベストセラーの『人新世の資本論』(斎藤幸平著、集英社新書)でも話題になりました。読み方は「じんしんせい」「ひとしんせい」のどちらでも構いません。地質学的に時代に名前をつける「地質年代」によって現代を分類するための用語です。2000年にオゾンホールの研究で知られるノーベル化学賞を受賞したオランダの化学者、パウル・クルッツェンらによって提唱されました。

「人新世」に必要なデザイン思考:地球の限界との共生はいかにデザインされるか?Photo by Greg Rosenke

 人新世は、地球温暖化に関連した異常気象や気候変動など、人間の営みが、地球物理学的特性に不可逆的影響を与える時代のことです。そして、その中で人類がいかにより良くあるかが問われる時代であると言えます。

「それでは『自然を守りましょう』と言うことが人新世のデザインかというとそうではありません」と京都大学経営管理大学院の山内裕教授は話します。

 そもそも今、「自然を守りましょう」と言われてもどこかピンとこないのはなぜなのでしょうか?

「異常気象や気候変動で大変だということで、『自然を守りましょう』と言ってみたところで、本当に自然を守ろうとしているのではなく、災害が起って損害を受ける人類を守ろうとしているのです。そもそもの原因をつくっているのが人類ですし、自然はそもそも人類に守ってもらいたいとすら思っていません」(山内)

 そもそも、18世紀終わりに始まる近代において、人間と自然を分離し、「人間中心主義」を生み出したことが問題です。人間と自然の二元論を保持したまま、人間が自然を守ると言っても、人間中心主義をより強固にしているだけです。これは自分が手を汚さずに正しいことを言う「美しい魂」という欺瞞です。

「人新世において求められるのは、やはり近代特有の人間と自然を分けて考える二元論の解体にあると考えられます。人間中心主義は、『人間が自然をコントロールする』という幻想でした。しかしそもそも人間が全てをコントロールできるはずがありません。その限界を示しているのが、異常気象や気候変動です。」(山内)

 そして、人間が全てをコントロールできるという、人間と自然の二元論により発展してきたのが、資本主義です。資本主義が限界に直面しているわけです。人新世においてはどんなイノベーションが企業には求められるのか。それは自らの存在に揺さぶりをかけることだと言います。

「こうした時代において、企業は、資本主義において価値を創出しなければならないのですが、その資本主義自体を否定しなければ、ひとびと(いわゆる消費者です)はそこにオーセンティシティを感じなくなるわけです。それゆえに、人間と自然の二元論を解体するところに価値が生まれるわけです。企業は自らの存在を揺さぶる、自己破壊をするようなイノベーションを創出しなければ、価値が創造できなくなってしまうでしょう」(山内)

人新世、資源の定義がガラリと変わる

 それでは私たちは、人新世において何をつくり、どのような未来を生きていくのでしょうか? 京都クリエイティブ・アッサンブラージュに関わっている、京都工芸繊維大学の水野大二郎教授に、人新世におけるデザインについて尋ねました。デザインと聞くとまさに企業で用いられる「デザイン思考」のように、いわゆる大量生産される製品を想起しますが、水野教授は、より本質的な「新たな人工物の創出」関わるデザインの理論から実践までを研究しています。

「これまであったような『明るい未来』ではない別の『あり得る可能性』を考えることが、これからのデザインの役割になります」と水野教授は話します。つまり、人間と自然に関するまったく新しいイデオロギーが生まれた時、人間はどのようなモノをどのようにデザインしていくのか。それが水野教授が探求する人新世におけるデザインです。

「たとえば近い将来、資源の捉え方は大きく変わります。廃棄物を資源として活用することは当たり前になります(廃棄資源)。さらに菌類などに代表される、生き物と人工物のあいだの性質を持ったものを資源として活用していく試みも増えると考えられますし(生物資源)、資源の自立分散協調化が進み、仮想的なものが資源の一部であるように感じられるようになるとも考えられます(仮想資源)。こうした未来において、人間と自然を二元論的に捉える近代的な考え方を再考することは必須であると考えられます」(水野)

 そして水野教授は、20世紀から21世紀のデザインを振り返ります。その変遷はまるで人類が自らの文明をいかに捉えてきたかを物語るようです。

「まず20世紀の工業化・消費社会においては、欲望の対象となる工業製品としてのデザインが興隆します。日本ではこの潮流が柳宗理の『アノニマス・デザイン』などが結実したのかもしれません。続いて、工業社会の限界が見え、高度消費社会においては批判的・批評的なデザインが生まれます。イタリアの『ラディカル・デザイン』などがそうです。そして、情報化社会における未来思索的なデザインである『スペキュラティブ・デザイン』が生まれる。いわゆる高度なサイエンスやテクノロジーが可能にする新しい世界に対する、新しい倫理課題をとらえてデザインに反映するようなアプローチです。そして情報化社会における、環境問題の深刻化から生まれているのが、人新世におけるデザインです。すなわち、人類と他の生物種、それらと共有している環境との関係性を修復するようなデザイン『トランジション・デザイン』『エコロジカルデザイン』と呼ばれるものです」(水野)

二元論の境目をデザインするという発想

 人新世におけるデザインで重要な視点になってくるのは、「境目」であると水野教授はいいます。つまり、現実と仮想、有機物と無機物、自然と人間といった、これまでの価値観では二分され、境界線があったものが曖昧になるデザインです。そしてその萌芽はすでにさまざまなところに見出すことができるといいます。

 たとえば、ファッションブランドのバレンシアガとオンラインゲームのフォートナイトがコラボレーションし、リアルとゲームの両方の世界で楽しめるファッションコレクションが生み出されました。

「ファッションの事例ですが、モノづくりにおける垣根があやふやになっている好例です。というのも、両方の世界のモノづくりを支えているのはデジタルデータだからです。モノづくりが、デジタルデータをそのままデジタルにするか、フィジカルにするかの問題になってきている、と考えられます」(水野)

 また水野教授は、同じくファッションの事例として、ラグジュアリーブランドのエルメスとバイオベンチャーのMycoWorksが発表した、バイオテクノロジーによって生み出された新素材「マッシュルーム製レザー」を使用したバッグを挙げます。ラグジュアリーブランドといえば、旧来的な動物のレザーや毛皮を用いたものにこそ価値が置かれ、サステナビリティは二の次、という印象でしたが、価値の源泉はすでに変わりはじめているようです。

「今後、前世紀から現代に続く工業的デザインで実現してきたような、高品質なものを均質につくることが非常に難しくなります。よって、自然界の『ゆらぎ』とともにデザインをしていく未来が想定されます。つまり人新世におけるデザインでは、合理性の中で解決を図ることが難しい状況にどのように対処していくかが求められます。そのためには包括的な視点、思索的な態度、そして時間・空間への拡張性が重要な要素になるでしょう。まず、局所性と包括性を自在に往来する、マクロな視点で見た製品やサービス、システムのデザインが重要です。まさに資源の考え方がそうですが、資源と廃棄物を同等に捉えるためには、(資源と廃棄物を地球の循環の中に位置づける)マクロな視点は欠かせないものになります。マクロな視点によって、合理性、効率性、予測可能性を前提としない思索的デザインを着想していくことが求められるでしょう。これらを複合することによって、時間(近・遠未来)と空間(人間、組織、非人間)を拡張し、メタバースや社会環境などの複数の環境をまたいで生み出される製品やサービスが新しい価値として出てくるのではないでしょうか」(水野)

 次回の連載では、思索的デザインに取り組むアーティストの取組みなどを取り上げながら、人新世のためのデザインをより具体的に掘り下げていきます。