全米第1位の最高峰ビジネススクール(U.S. News & World Report調べ)、スタンフォード大学経営大学院で何年にもわたって大きな人気を博している「権力のレッスン」がある。デボラ・グルーンフェルド教授がその内容を『スタンフォードの権力のレッスン』として刊行、ナイキ社長兼CEOジョン・ドナホーが「本音の言葉で権力のからくりを教えてくれる」、フェイスブックCOOシェリル・サンドバーグが「権力についての考え方、使い方を一変し、自分の中に眠っている大きな力に気づかせてくれる」と絶賛するなど、大きな話題となっている。「権力の心理学」を25年間研究してきた教授の集大成ともいうべきその内容とは? 世界のトップエリートがこぞって学んでいる教えを、本書から一部、特別公開する。(初出:2021年8月6日)
「控えめいっぺんとう」では信頼されない
私たちはしばしば、現実のストーリーではなく、自分が自分の都合で思い描くドラマに基づいて、果たす役割を(無意識のうちに)決めてしまい、権力を効果的に使えずにいる。
そのことを私は、あるアシスタントとの関係を通して、痛い目に遭って学んだ。
彼女はそれまで私のために働いてくれたほかのアシスタントと同じように聡明で勤勉だった。初めて会ったときから私に敬意をもって接してくれた。その点は、ほかのアシスタント以上だった。いま思うとそれが、自分の要求を私に知らせる彼女なりのやり方だったのだろう。彼女は私に、ボスとしての権威を示し、責任を引き受けてほしいと願っていたのだ。
だが、そのことに私は気づかなかった。私は彼女に私のことを好きになってほしかったし、私のそばで居心地のよさを感じてほしかった。彼女に何かを要求する権利が自分にあるとも思っていなかった。だから私はフレンドリーにふるまった。だがそれは、あまりにも彼女に任せっぱなしにする態度につながった。配慮を欠いたし、関与が足りなかったし、失敗にもつながった。
要するに、私はパワーダウンを選んだのだった(パワーダウンとは、慎み深くあえて力の誇示を控えること。本書参照)。それが最も自分らしいと思ったし、それまでうまくいっていた方法だったからだ。
だが、いまにして思えば度が過ぎていた。彼女には私が真剣に役割を果たしていないように見え、イラつき、無理もないが受動的な攻撃性を発揮した。思いやりと責任をもって上司としての役割を果たさない上司に対し、彼女は敬意を払うつもりはなかったし、部下としての役割を果たすつもりもなかった。
私は、彼女との関係がぎくしゃくし始めたことを感じたが、理由がわからなかった。それまでも同じやり方をしていたが、柔軟な放任に問題を感じないアシスタントもいた。だが、この女性には確固たる構造が必要だった。だれかが手綱を取らなければならないのに、上司の私がそれをしなかったので、彼女に苦労を強いることになったのだ。(中略)
信頼される上司は「パワー」を使い分ける
その後まもなく、私はくだんのアシスタントから嫌なメールを受け取った。言葉づかいには敬意が感じられなかった。私は時間を指定して、彼女をオフィスに呼びつけた。メールを印刷し、侮辱的な文言に線を引いて強調した。彼女が私の部屋のドアをノックした。私は立ち上がって、椅子に座るよう促した。彼女の前にメールのプリントアウトを置き、指差して言った。
「これはどういう意味かしら?」
紙から指を離し、彼女の目をまっすぐに見ると、彼女の顔から血の気が引くのがわかった。彼女はすぐに謝罪し、考えられるあらゆる方法で言い訳をした。私は黙って彼女が話し終わるのを待った。その後、数秒の間を置き、こう告げて“対決”を終わらせた。
「わかりました。来てくれてありがとう」
後にも先にも、こんなやりとりはこの一回だけだった。このとき私はパワーアップ(あえて力を強調すること)し、彼女はパワーダウンし、二人は正しい方向に向かった。変化はすぐに表れた。私たちはお互いに少し注意深くなり、自分の役割へのコミットを強めた。それ以来、メールとそれに続く“対決”について話をしたことはないが、私たちの関係はうまくいき始め、それはいまも続いている。
あの日の面談は、私の成長にとって大きな瞬間だった。あのとき私は自分の演技をわざとらしく感じた。芝居がかっていて自然ではなく、普通でもなかった。しかし、彼女や彼女のあとに続く多くの部下のために正しいことをしたいなら、自分自身であることへのこだわりを捨て、責任ある者としてふるまう必要があることがわかっていた。
(本原稿は『スタンフォードの権力のレッスン』からの抜粋です)