言語や創造性をはじめとして、意識は生物としての人間らしさの根源にあり、種としての成功に大きく貢献したと言われてきた。なぜ意識=人間の成功の鍵なのか、それはどのように成り立っているのか? これまで数十年にわたって、多くの哲学者や認知科学者は「人間の意識の問題は解決不可能」と結論を棚上げしてきた。その謎に、世界で最も論文を引用されている科学者の一人である南カリフォルニア大学教授のアントニオ・ダマシオが、あえて専門用語を抑えて明快な解説を試みたのが『ダマシオ教授の教養としての「意識」――機械が到達できない最後の人間性』(ダイヤモンド社刊)だ。ダマシオ教授は、神経科学、心理学、哲学、ロボット工学分野に影響力が強く、感情、意思決定および意識の理解について、重要な貢献をしてきた。さまざまな角度の最先端の洞察を通じて、いま「意識の秘密」が明かされる。あなたの感情、知性、心、認識、そして意識は、どのようにかかわりあっているのだろうか。(訳:千葉敏生)
深い眠りや麻酔で意識が失われるしくみ
著名な哲学者のジョン・サールは、意識に関する講義の冒頭で、意識の問題をついに解明したと言わんばかりの、簡潔な意識の定義をよく述べた。意識は神秘などではない、と彼は言う。意識とは単に、麻酔を受けたり、夢を見ない深い眠りに達したりしたときに消失するものにすぎない、というのだ。たしかに、聴衆の心をつかむにはうってつけの講義の始め方ではあるが、意識の定義としては不十分だし、麻酔に関しては誤解を招くと言わざるを得ない。
たしかに、深い眠りや麻酔の最中には意識がなくなる。昏睡状態や持続性植物状態のときには意識のかけらも見当たらないし、さまざまなドラッグやアルコールの影響で意識が損なわれることもあるし、気絶したときには一時的に意識がなくなる。閉じ込め症候群と呼ばれる深刻な疾患では、一見すると意識がないように思えるのだが、実は消失していない。その神経疾患の患者は、意思疎通を図ることができず、自己や周囲を認識していないように見えるが、実際には完璧に意識がある。
残念ながら、麻酔も、意識を妨げる神経疾患も、私がこれまで述べてきた意識ある心の構築メカニズムを集中的に狙い撃ちして、意識を阻害するわけではない。麻酔や多くの病的状態は、どちらかというと鈍器に近い。意識そのものというより、正常な意識が依存するさまざまな機能に打撃を加えるからだ。
手術で使われる本格的な麻酔は、感知(または検知)の能力を、一瞬にして停止させてしまう。この命題を裏付ける証拠は明白だ。細菌も植物も感知能力は持っているが、心や意識を持たない。それでも、麻酔は細菌や植物の感知能力を停止させ、細菌や植物を文字どおりの冬眠状態へと追いやる。だが、麻酔は明らかに、意識そのものに対しては何の作用も及ぼしてはいない。第一、細菌や植物は意識を持たない。
感知能力が私たちに心や意識を与えるわけではない。しかし、感知能力がなければ、最終的に意識ある心を生み出す原材料となる素朴な心、感情、自己参照を段階的に実現する機能を発達させていくことはできない。要するに、麻酔は主として意識に作用するのではなく、感知能力に作用する、というのが私の見方だ。究極的に、意識ある心を組み立てる能力を奪うというのは、大変有益で実用的な麻酔の効果だ。なぜなら、私たちの関心は、痛みをまったく意識せずに手術を受けることにあるのだから。