言語や創造性をはじめとして、意識は生物としての人間らしさの根源にあり、種としての成功に大きく貢献したと言われてきた。なぜ意識=人間の成功の鍵なのか、それはどのように成り立っているのか? これまで数十年にわたって、多くの哲学者や認知科学者は「人間の意識の問題は解決不可能」と結論を棚上げしてきた。その謎に、世界で最も論文を引用されている科学者の一人である南カリフォルニア大学教授のアントニオ・ダマシオが、あえて専門用語を抑えて明快な解説を試みたのが『ダマシオ教授の教養としての「意識」――機械が到達できない最後の人間性』(ダイヤモンド社刊)だ。ダマシオ教授は、神経科学、心理学、哲学、ロボット工学分野に影響力が強く、感情、意思決定および意識の理解について、重要な貢献をしてきた。さまざまな角度の最先端の洞察を通じて、いま「意識の秘密」が明かされる。あなたの感情、知性、心、認識、そして意識は、どのようにかかわりあっているのだろうか。(訳:千葉敏生)
意識がある状態とは?
「私に意識がある」とは、いったいどういう意味なのだろう? ごく単純に言えば、私自身に意識があると称する瞬間において、私こそが心の所有者であると自然に特定されるような知識を、私の心が有している状態といえる。
基本的に、その知識は次のようなさまざまなかたちで、私自身とかかわっている。
1)私の身体。私は感情を通じて絶え間なく、私の身体に関する詳しい(または漠然とした)情報を受け取っている。
2)私が記憶から呼び起こす事実。その事実は、この瞬間の知覚と関係がある場合もあればない場合もあり、私自身の根幹でもある。
心に意識を与えるこの知識の集会の規模は、名誉あるゲストの数によって変わるが、その一部は名誉があるどころか、絶対に欠かせないゲストといえる。その名前を挙げておこう。一つ目は、自身の身体の現在の機能に関する知識。二つ目は、記憶から呼び戻された、今この瞬間の私、最近の私、遠い昔の私についての知識である。
とはいえ、私は、意識がそこまで単純だと言い張るつもりはない。実際、意識は単純とは程遠いからだ。これほど多くの可動部位や関節によって生み出される複雑さを過小評価したところで、得るものは何もないだろう。たしかに意識は複雑だが、意識が物質的な意味ではなく、心的な意味で何からできているのかは神秘であるとか、解明不可能であるとは思えないし、いつまでもそのままである必要もない。
私は、私たちの生体が成し遂げてきたことを深く称賛している。私たちが神経と呼ぶ部分と、「残りの身体」という言葉で片づけてしまいがちな部分、その両方から成る私たちの生体が、感情と自己参照の感覚を備えた心的状態へとつながるプロセスを生み出してきたことは、称賛に値する。
だが、何かを称賛するのに、神秘性をかき立てる必要などないのだ。神秘の概念や、生物学的な説明が人智を超えたところにあるという考えは、意識については成り立たない。疑問には答えがあるし、難問は解ける。それでも、いくつかの比較的明快な機能の組み合わせが人間のために成し遂げてきたことは、驚異としか言いようがない。