銃撃事件の際にも多くのメディアは報道にあって、しばらくの間「宗教団体」の固有名詞を挙げなかったが、こうした姿勢でいいのか。率直に言って、政治家と同じくらいメディアも頼りないし、両者の間には「暗黙の了解」があったということだろう。

 さて、この問題について岸田政権側は、しばらく時がたつと世間の関心が薄れると思ったのかもしれないが、今のところ見込み違いだった。過去の関連事実は動かしがたい証拠と共にまだ出てくるだろう。さらに、それを公開していなかった政治家はいかにも「やましい」感じに見えるので、旧統一教会問題は、メディアが記事を作るには格好のテーマだ。

 今回の内閣改造が、「旧統一教会隠し」が目的なのだとすると、岸田氏は少なくともタイミングを間違えたように見える。

岸田首相の決定的なミス
説明責任の転嫁はあり得ない

 今回の組閣で岸田首相が間違えたのは、タイミングだけではない。旧統一教会と関係のある新しい閣僚・党役員への対応を決定的に誤った。

 旧統一教会との関係について、新しい閣僚・党役員各自が自ら公開・説明し、自らが不適任ではないことの判断に対して責任を負えとしたのは、首相として決定的なミスだったのではないか。岸田氏は、この問題に関する任命責任を負いたくないと考えて候補者各自に説明責任を転嫁したつもりだろうが、組織のリーダーとしてこれはあり得ない。

 例えば、ある大企業で広範囲の幹部社員が社会的に不適当な行為に手を染めていたとしよう。今、筆者の頭に浮かぶ一番近い事例は、多くの幹部社員が原子力発電所の立地自治体の関係者から金品を受け取っていた某電力会社だ。ただ、検査データをごまかしていたメーカーや、損失を隠していた上場企業などを思い浮かべてもらってもいい。

 こうした不祥事企業で、不正に関わった役員を再任するときに、役員候補本人の自己申告と良心に基づいて任命するのでは、株主にも世間にも納得感は全くない。それでも再任されるかもしれないのが、日本の会社で起こりがちな問題点だが、日本政府が某電力会社くらい腐っていていいはずはない。もちろん政府なのだから、一企業よりも世間の関心の的になる。