言語や創造性をはじめとして、意識は生物としての人間らしさの根源にあり、種としての成功に大きく貢献したと言われてきた。なぜ意識=人間の成功の鍵なのか、それはどのように成り立っているのか? これまで数十年にわたって、多くの哲学者や認知科学者は「人間の意識の問題は解決不可能」と結論を棚上げしてきた。その謎に、世界で最も論文を引用されている科学者の一人である南カリフォルニア大学教授のアントニオ・ダマシオが、あえて専門用語を抑えて明快な解説を試みたのが『ダマシオ教授の教養としての「意識」――機械が到達できない最後の人間性』(ダイヤモンド社刊)だ。ダマシオ教授は、神経科学、心理学、哲学、ロボット工学分野に影響力が強く、感情、意思決定および意識の理解について、重要な貢献をしてきた。さまざまな角度の最先端の洞察を通じて、いま「意識の秘密」が明かされる。あなたの感情、知性、心、認識、そして意識は、どのようにかかわりあっているのだろうか。(訳:千葉敏生)

感情は純粋に精神的Photo: Adobe Stock

「でも、この感情は純粋に精神的なものじゃない」

 見出しに引いたこのフレーズは、作曲家のジェローム・カーンが作り、歌手のフレッド・アステア、フランク・シナトラ、エラ・フィッツジェラルドなどが歌って有名となった曲、「踊らないよ(I Won't Dance)」の中の一節だ。ヒットの大きな一因となったのは、ドロシー・フィールズとジミー・マクヒューがこの曲の改訂版のために書き下ろした歌詞だろう。「でも、この感情は純粋に精神的なものじゃない。いいかい、僕は燃えない石綿なんかじゃないんだ」。

 この歌詞には、愛は心の中だけでなく、愛する人と踊るときの肉体的な興奮にも宿っている、という少しみだらな意味合いが込められている。彼は石綿なんかじゃない。血の通った人間だ。そして、身体の密着やロマンスに対して、つい肉体的に反応してしまう。彼は恥ずかしくなり、もう踊るまいと決意する。

 時として、大衆的な知恵が精密な科学に勝つことがある。「感情は純粋に精神的なものではない」「感情は心と身体のハイブリッドである」「感情は心から身体、身体から心へとやすやすと移動する」「感情は心の平穏を乱す」──これらが先ほどの曲の主旨であり、本章で私が伝えようとしている主旨でもある。

 私が付け加えなければならないのはただ一つ、感情の力は、感情が意識ある心の中に存在するという事実から生じる、という点だ。技術的に言えば、私たちが何かを感じるのは、心に意識があるからだ。そして、私たちに意識があるのは、感情があるからなのだ!これはけっして言葉遊びなどではない。一見すると矛盾しているが、厳然たる事実を述べているだけだ。感情こそが、意識という名の冒険の出発地なのだ。