人気絶頂の中、日本でのすべての芸能活動を休止し、渡米してから約30年。その生き方と圧倒的な個性で注目を集めてきた野沢直子さんが、還暦をまえにして「60歳からの生き方」について語ったエッセイ集『老いてきたけど、まぁ~いっか。』が発売とともに話題になっています。「人生の最終章を思いきり楽しむための、野沢直子流『老いとの向き合い方』」について、本連載では紹介していきます。

【野沢直子】「私、年を取るのが楽しみで仕方ないんです」って、ほんとかよと思ってしまう写真/榊智朗

見た目も中身も劣化問題は
ある日突然、急速に深刻化してきた

 現在五十九歳である私の場合、五十代の半ばを過ぎたあたりからか、いや五十代に差しかかったあたりからだったろうか、この『老い』の始まりの、見た目も中身も劣化問題はある日突然急速に深刻化してきたように思う。

 ほとんどの人がこの深刻化を迎えて、『こんなはずじゃなかった、こんなの他人事だと思っていた』と戸惑っているのではないだろうか。私も四十代後半くらいまでは、なんとも思っていなかった。たいしたことない、こんなの他人事だと思っていた。

 だが、ここ数年で見た目も中身も急な勢いで劣化してきて、今、存分に戸惑っている。『なんだこれは』と、とてもジタバタしているのが現状だ。

「私、年を取るのが楽しみで仕方ないんです」って、
ほんとかよと思ってしまう

 誰かが、特に芸能人の女性に多いと思うのだが「私、年を取るのが楽しみで仕方ないんです」とか「この変化を楽しんでいます」などと発言しているのを見ると私は、ほんとかよと思ってしまう方である。

 確かに誰かが『老いていくのは楽しみだ』と豪快に言ってくれれば、老いが始まっている世代としては、え? あ、そう、そうなのかな、と思い直したりする人もいるかもしれないので、その芸能人の方もそこを狙ってあえて発言している部分もあるのだろうが、そんなの絶対に本音じゃないだろうと思っている。

 じじいばばあになっていくことのどこが楽しみなんだよ、とまず思い、更に意地悪な私は、これは見た目劣化問題に焦っていることを周りに悟られたくないための防御だよな、と納得することにしている。

 そして、こんなこと言う人に限って実際は焦っているはず、ふふん、私と一緒じゃないと勝手に親近感を持って、なんだ、老いて焦っているのは私だけじゃないんだと勝手に安心することにしている。

『とりあえず今日、空が青ければそれでいいんだ』
などと思うようになった

 なんでもかんでも若い時の方が良かったとは結びつけたくはないにしろ、でもやっぱり見た目だって中身のシャープさだって、何かにつけて若い方がいいんじゃないのと思う。

 とは言え、である。年を重ねるということは、確かに悪いことばかりではないと思うことはある。

 最近は、過去には色々とこだわってごちゃごちゃと考えすぎていたことも、今は『別にこれでいいじゃないか』と現状をすんなりと受け容れるようになってきたり、若くて忙しかった頃には気がつくことのなかった空の青さの美しさにふと足を止めて眺めてみたりするようにもなってきた。

 不思議な境地である。これが肩の力が抜けてきたというやつなのだろうか。

 何か目標を達成した、とかそういったことが何もなく昨日と変わらない今日であっても、『とりあえず今日、空が青ければそれでいいんだ』などと思うようになったり、何かにやたら感謝して、むやみにありがとうありがとうと言いたくなり、夕日がきれいだと「今日もありがとう」と一人でつぶやいてみるというおかしな感情も生まれた。

 いや、ありがとう、と言ったところで何に対しての『ありがとう』なんだか自分でもわかってないのだけれど、とにかく言ってみたくなるのだ。

簡単に幸せな気持ちになれることは、
悪いことではないだろう

『感謝、感謝』とかやたらと言う人なんて、何かの新興宗教にでもハマっている人っぽくて胡散臭いと思っていたのに、何故かそんなことを言ってみたくなる境地に達している。

 それに元々涙もろい方ではあったが、前にも増して涙腺もゆるく、映画の予告を観ただけで勝手に本編の内容を想像して、勝手に感動して泣いて嗚咽の域に入ることもある。

 実際の映画の内容と、私のその想像のストーリーはまったく違うかもしれないのに予告だけで感動してしまっていては、映画の作り手には大迷惑な話である。

 肩の力が抜けるということは、決して悪いことではないかもしれない。何かにつけて『ありがとう』『感謝、感謝』と言うのはうざいばばあだと思うが、簡単に幸せな気持ちになれるのは悪いことではないだろう。

どうせなら見た目も中身も
劣化前の自分のコンディションでこの時期を迎えたかった

 私にも、年を重ねる中にはそんな利点もあるのだという程度のことは理解できるのだが、だからといって『年を取るのが楽しみで仕方がない』とまでは、どうも正直思えない。

 かつては親が同じことを何回も繰り返し言っていたりしたら、「もう、それこの間も言ってたから。あー、もう年だね。同じこと何回も言っちゃって」などと、からかって笑っていたのに、最近はまったく同じことを自分の子どもに言われて笑われるようになってきた。

 かつてはちょっと小バカにして他人事だと思っていたことが、考えている暇もなく自分の出来事として急速に身に振りかかってくるから、今はまずとにかく戸惑っているのである。そう、この戸惑いの方が大きくて、今のところは年を取るのが楽しみだとは到底思えない。

 仕事も子育ても一段落、自分の時間が作れるのはありがたいが、どうせなら見た目も中身も劣化前の自分のコンディションでこの時期を迎えたかった。その方が色々とエンジョイできたんじゃないだろうかとも思う。

 例えば、時間ができたからといって、何か美味しいものを食べに行って、わぁ~とかテンションが上がっていても、もうそのテンションに胃がついてこなくなってきていて二口か三口食べたらもうギブアップ、それ以上は箸の動きが鈍くなってくるのである。焼き肉、ステーキ、揚げ物、この類いはほぼそんな感じで全滅である。

 食べに行く前に脳内では肉汁の映像で盛り上がっているのに胃がついてこない悲しさ、こんな日がくるなんて思ってもいなかった。せっかく前よりも時間があって、自分のペースで食事にも行けるのだから、二十代三十代の時の胃で食事に行きたかった。

年老いた人たちの表情は、その人の人生を表していると思う

 人間は誰しも老いる、そのことは頭ではわかっていた。でも実際にこれが自分の身にふりかかってくれば、まずは対処の仕方がよくわからなくてジタバタしてしまうのが、この五十代の中年期の心境なのではないだろうか。

 そう五十代はいろんなところが老いてきてはいるが、でも七十代や八十代の人たちに比べたらまだまだ元気で動ける。でも、確実に三十代や四十代とは違う。還暦も目の前に迫ってくれば、遠くから『老い』の文字がどんどんと迫ってくる感じがある。でも、完全に老いてしまってるわけでもないという、非常に中途半端な時期である。

 だが、この中途半端な中年期の次にやってくるものは人生の最終章だ。終わりよければ全てよし、この人生の最終章を楽しく過ごせれば死ぬ時に『ああ、いい人生だった』と思えるのではないだろうか、とぼんやり想像してみたりする。

 年老いた人たちの表情は、その人の人生を表していると思う。ずっと苦虫を噛み潰したような顔の人もいれば、終始微笑んでいるような柔和な顔の人もいる。

 目が合ってもにこりともせず眉間にしわを寄せて苦虫を噛み潰したような顔をして相手を凝視してくる人は何かやり残したことがあって悔いているのか、よほどつまらない人生だったのでそんな顔をしているのではないかと想像するし、終始微笑んでいるような柔和な人は言うまでもなく、満足できる人生だったのだろうなと思う。

人生の最終章を迎える前の大事な橋渡しの時期

 この中年期は、中途半端でジタバタしていてなんの意味がある時期なのかよくわからない気もするが、実はどうして人生の最終章を迎える前の大事な橋渡しの時期なのではないかという気もするのである。

 今まで歩んできた人生をふと振り返って、これでよかったのか悪かったのか、もう考えたところでここまで歩んできてしまった人生は変えようがないから、もう考えない。この地球の、日本という国に西暦千九百六十三年三月二十九日に生まれ、野沢直子という名前を与えられたというこの自分を変えることはできないのだ。

 だが、ここまで生きてきて、この中年期にこの事実、自分の過去、今まで歩んできた自分の人生を自分でどう受け止めて自分の中でどう消化するのか、この先にやってくる本格的な老いとどう向き合うのか考えて準備するのかしないのかで、この先の人生の最終章は大きく左右される気がしてならないのだ。

『悔いのない人生』だったら本当にありがたいけれど、この中年期になって誰しも一つや二つはまだ達成できていないことがあったり、やりたくてもまだ手をつけていないことすらあって後悔していることなどあるだろう。この時期にそれにどう対応するのか、それをどう消化していくのかを決めるだけで、この最終章は大きく変わってくると思う。

 人生の最終章は、楽しく過ごしたい。今は迫りくる『老い』にジタバタしているけれど、どうせならゆくゆくは終始微笑んでいるような柔和な顔をしているばばあになりたい。

 最終章を楽しく生きることによって、いい人生だったと思いながら死んでいきたい。それにはどうしたらいいのか、同世代の同士の皆さんと一緒に考えてみたくて、この連載を始めた次第である。

『老いてきたけど、まぁ~いっか。』では、「人生の最終章を、思いきり楽しむための、野沢直子流『老いとの向き合い方』」を紹介しています。ぜひチェックしてみてください。

(本原稿は、野沢直子著『老いてきたけど、まぁ~いっか。』から一部抜粋・修正して構成したものです)

【野沢直子】「私、年を取るのが楽しみで仕方ないんです」って、ほんとかよと思ってしまう野沢直子(のざわ・なおこ)
1963年東京都生まれ。高校時代にテレビデビュー。叔父、野沢那智の仲介で吉本興業に入社。91年、芸能活動休止を宣言し、単身渡米した。米国で、バンド活動、ショートフィルム制作を行う。2000年以降、米国のアンダーグラウンドなフィルムフェスティバルに参加。ニューヨークアンダーグラウンドフィルムフェスティバル他多くのフェスティバルで上映を果たす。バラエティ番組出演、米国と日本でのバンド活動を続けている。現在米国在住で、年に1~2度日本に帰国してテレビや劇場で活躍している。著書に、『半月の夜』(KADOKAWA)、『アップリケ』(ヨシモトブックス)、『笑うお葬式』(文藝春秋)がある。
写真/榊智朗