ラテン語こそ世界最高の教養である――。東アジアで初めてロタ・ロマーナ(バチカン裁判所)の弁護士になったハン・ドンイル氏による「ラテン語の授業」が注目を集めている。同氏による世界的ベストセラー『教養としての「ラテン語の授業」――古代ローマに学ぶリベラルアーツの源流』(ハン・ドンイル著、本村凌二監訳、岡崎暢子訳)は、ラテン語という古い言葉を通して、歴史、哲学、宗教、文化、芸術、経済のルーツを解き明かしている。韓国では100刷を超えるロングセラーとなっており、「世界を見る視野が広くなった」「思考がより深くなった」と絶賛の声が集まっている。本稿では、本書より内容の一部を特別に公開する。

「生きることに疲れたあなた」に知ってほしい「たった1つの考え方」Photo: Adobe Stock

すべてのものは過ぎゆき、流れる

 高麗時代の学者・李奎報(りけいほう)が編さんした『東国李相国集(とうごくりそうこくしゅう)』には「そもそもお釈迦様の言葉には、損得などはなく、しばし留まっていただけである」と記されています。

 仏教では「すべては移ろいゆくもの」と説いています。真の完全とは、完全の状態に留まらないことです。私たちの人生も、笑い、泣くような出来事が起きては過ぎ去りの繰り返しに過ぎません。

「完全とは、すでに成し遂げられた状態ではなく、刻一刻と新たになる創造だ」という言葉も、見直してみる価値があります。

 だから最も望ましいことは、うれしくて幸せな瞬間には思い切り喜んで幸せを享受し、それが過ぎ去るときも当然だと受け入れることです。

 そしていつかまた、そんな幸せな瞬間が訪れて笑えるように、今を生きればいいのです。つらいときには、絶望や投げ出したい気持ち、怒りを、しばし明日に送ってしまいましょう。その瞬間が過ぎていくことを待つのです。

 今、感じている苦しみや絶望は永遠に続くように感じますが、いつしか必ず抜け出せるときが来ます。それがいつになるのかが誰にもわからないだけで、いつかは必ず終わると断言できます。

 すべてのものは過ぎゆき、私たちは死者が切望した明日だった“今日”を生きています。

 過ぎたことにとらわれないでください。私たち自身も、悠久の時の中で、ほんの一瞬だけ留って、過ぎゆく存在に過ぎないからです。

(本原稿は、ハン・ドンイル著『教養としての「ラテン語の授業」――古代ローマに学ぶリベラルアーツの源流』を編集・抜粋したものです)