ラテン語こそ世界最高の教養である――。東アジアで初めてロタ・ロマーナ(バチカン裁判所)の弁護士になったハン・ドンイル氏による「ラテン語の授業」が注目を集めている。同氏による世界的ベストセラー『教養としての「ラテン語の授業」――古代ローマに学ぶリベラルアーツの源流』(ハン・ドンイル著、本村凌二監訳、岡崎暢子訳)は、ラテン語という古い言葉を通して、歴史、哲学、宗教、文化、芸術、経済のルーツを解き明かしている。韓国では100刷を超えるロングセラーとなっており、「生きる力が湧いてきた」「世界を見る視野が広くなった」「思考がより深くなった」と絶賛の声が集まっている。本稿では、本書より内容の一部を特別に公開する。

「死にたいほどつらい気持ち」がラクになる「たった1つの習慣」Photo: Adobe Stock

絶望や苦しみに効く、たった1つの習慣とは?

 本棚に並べられた本を見れば、持ち主の人となりがわかると言われています。ところで本以外にも、その人を知る手がかりがあります。

 それは表情です。エイブラハム・リンカーンは「40歳を過ぎたら、人は自分の顔に責任を持たねばならない」と言いました。その人のそれまでの性格や感情が積み重なって、40歳を過ぎるころには顔に表れているという意味です。

 実際、いつでも怒りっぽく否定的な人の人相と、人生を笑いながら楽しく過ごしている人の人相はまったく違うものです。したがって私は時折、学生たちに簡単かつ難しい宿題を出します。何も特別なことではありません。

「朝、起きてから顔を洗うときに、洗面台の鏡に映る自分に向かって微笑みかけなさい」というものです。

 みなさんも一度、やってみてください。簡単なようでいて意外に難しいものです。

 朝、起き抜けの自分の姿はどうでしょうか。髪はぼさぼさ、目は腫れて、時には頰にシーツの跡がついているかもしれません。そんな姿を誰かに見られたら、あなたはどう感じるでしょうか。また、そんな自分自身に対して何を感じますか?

 朝一番に鏡の中の自分に微笑みかけることは、自分に対するねぎらいと励ましとなります。希望や喜びよりも、絶望や苦しみが増えるほどに、そのような自己肯定のアクションが重要になります。

 さらに、自分に微笑むのと同じように、他人に対しても微笑みかけることができればという願いもあります。また、それを意識して行っていこうという決意表明でもあります。

 中には、今とても苦しくてたまらないのに、そんな力さえ出ないよと反論したい人もいるでしょう。そんなときは、このシンプルな言葉を思い出してください。

Hoc quoque transibit.
ホク・クオクェ・トランシビト
(これもまた過ぎゆく)
※発音は「ローマ式発音」を基準にしています

 今、感じている苦しみや絶望は永遠に続くように感じますが、いつしか必ず抜け出せるときが来ます。それがいつになるのかが誰にもわからないだけで、いつかは必ず終わると断言できます。

 すべてのことは過ぎ去っていきます。だから今日の絶望を、今すぐ逃げ出したくなるような気持ちを、煮えたぎるような怒りを、すべて明日に先送りにしてみるのです。

 すると自分を苦しめていた悩みごとが過ぎゆき、やがては遠く過ぎ去ってしまうことを感じられるでしょう。

(本原稿は、ハン・ドンイル著『教養としての「ラテン語の授業」――古代ローマに学ぶリベラルアーツの源流』を編集・抜粋したものです)