上海ロックダウンも「予行演習」だったか

 異例の3期目続投に持ち込んだ習氏だが、「慣例を破るだけの功績があるのか」といった素朴な疑問に応えるためにも、“ビッグな功績”を打ち立てないわけにはいかない。

 毛沢東は新中国の建設、鄧小平は改革開放――。こうした歴史に残るレガシーは今のところ習氏にはない。「一帯一路」も不安定さが指摘される中、唯一残されているのが「台湾統一」の実現だ。

 振り返れば、春先の上海のロックダウンは2カ月超に及んだ。当初、上海でも「ウィズコロナ」路線が支持されていたものの、3月半ば過ぎからは中央政府の要請で「ゼロコロナ政策」が徹底され、今なお、住民のオミクロン株に対する恐怖をあおり続けている。

 上海住民の間では “敵”(この場合は、新型コロナウイルス)を想定して命令に従わせる強引さに対し、「これは何かの予行演習ではないか」とささやかれるようになった。2020年の“武漢市のロックダウン”より厳しい、上海市の「一歩も家から出るな」という措置は、確かに「有事を想定した際の外出禁止」を想い起こさせるものだった。

 武漢市にせよ上海市にせよ、封鎖を行い、住民を自宅に閉じ込めれば、即問題となるのが食料や日用品の調達だ。上海のロックダウンでは食料供給の不公正さが大問題となり、住民は団体購入を利用するなどして必死の思いで食料を調達した。

 有事においては、住民への配給が課題となることに、中国は身をもって気づいたのである。