今でこそ女性の運転士や車掌も多く見かけるようになりましたが、これまでの長い期間、鉄道運転の現場は男性ばかりでした。1987(昭和62)年のJR発足当時の女性社員の割合はわずか0.8パーセントに過ぎず、しかもその大半が東京鉄道病院(現JR東京総合病院)の看護師です。ちなみに私が所属していた名古屋鉄道では2021(令和3)年現在の女性比率は全社で14.3パーセント、しかも運転などを行う鉄道事業現場においてはわずか2.7パーセントと、近年その数は増えたとはいえ、いまだ過半数以上は男性が占める職場なのです。
※本稿は、西上いつき『鉄道運転進化論』(交通新聞社新書)の一部を抜粋・編集したものです。
鉄道運転の現場は長らく男性ばかり
2018(平成30)年に公開された映画『かぞくいろ―RAILWAYS わたしたちの出発―』では、女優の有村架純さんが肥薩おれんじ鉄道の運転士役を演じました。シングルマザー役の有村さんが家族のために鉄道運転士をめざすというものですが、一流の女優さんですので、とても華やかでした。
今でこそ女性の運転士や車掌も多く見かけるようになりましたが、これまでの長い期間、鉄道運転の現場は男性ばかりでした。
1986(昭和61)年に「男女雇用機会均等法」が施行され、鉄道会社でも事務系には女性が採用されました。しかし、運転士や車掌といった「鉄道事業現場」に女性が加わることはまだ少なかったのです。女性の深夜労働を規制した労働基準法も、女性の採用を妨げました。
加えて、鉄道事業現場には女性従業員用のトイレや宿泊施設がなく、ほとんどすべての設備は男性用に限られていたという環境面の問題もありました。
そもそもの鉄道運行の規則も高いハードルでした。列車を止めなければならない事故が発生した際には、列車に危険を知らせるほか、列車を安全に停止させなければなりません。