あまり知られていない事実だが、実は戦時中、鉄道運行を支えていたのは女性職員たちだった。終戦時の国鉄職員の女性比率はなんと2割以上。女性活用が進みつつある現代よりも、高い比率である。(鉄道ジャーナリスト 枝久保達也)

戦時中の鉄道を支えたのは
若い女性たちだった

終戦翌年、満州からの引揚者たちを東京に運んだ電車
戦中から1947年頃まで、鉄道輸送の現場を担ったのは、多くの女性職員たちだった Photo:AP/AFLO

 1945年8月15日正午、重大放送があると言われてラジオの前に集まった人々は「玉音放送」によって敗戦を知らされた。神州不滅とされた大日本帝国の終焉であった。

 この放送は全国民が必ず聞くようにと言われていたが、山形県今泉駅で玉音放送を聞いた紀行作家の故・宮脇俊三氏によれば、放送の最中も鉄道は止まることなく動いていたという。宮脇氏は平然と走る汽車を見て、自分の中で止まっていた時間が動き始めたと記している。

 8月14日も、15日も16日も、鉄道は満身創痍ながら走り続けていた。鉄道は戦争遂行を支える「兵器」であった一方で、終わらぬ日常の象徴でもあった。敗戦に呆然とする中、変わらずに走り続ける鉄道を見て勇気づけられたという声は、各地に残されている。

 しかし、戦時中の鉄道輸送を支えていたのが若い女性たちだったということは、あまり知られていない。

 太平洋戦争開戦時に約150万人だった日本軍の兵力は、戦争の進展とともに拡大の一途をたどり、終戦時には総人口の1割を超える800万人以上に達した。働き盛りの男性が次々に軍隊に取られていくと、国内産業は深刻な労働力不足に陥った。この穴を埋めるために期待されたのが「女性の活用」であった。

 1943年8月には女性に置き換えることが可能な職種、鉄道では本社事務員、出札(きっぷ売り場)係員、改札係員、車掌などへの男子の就業が禁止されている。1944年8月には未婚女性は就業が義務化され、多くは軍需工場や軍需生産を支える鉄道に動員された(既婚女性は家庭を守ることが求められた)。

 この結果、たとえば国鉄の女性職員数は1944年に約5万人、終戦時には全職員の約2割にあたる10万人を超えていたという。1944年7月には、山手線や京浜東北線、中央線に合計157人の女性車掌が登場している。