カエサルを驚かせた離れ業

 22歳のクレオパトラがカエサルと出会ったのは、紀元前48年10月のこと。

 内紛に敗れて追放されていたクレオパトラは、ローマきっての執政官であったカエサルがプトレマイオス王朝の首都アレクサンドリアに来たことを知ると、直接会いに行くことを決意します。

 腹心に命じ、自らを絨毯にくるませてカエサルのもとへ贈り物として届けさせる……そんな離れ業をやってのけます。

 53歳のカエサルは彼女にたちまち夢中になり、クレオパトラは強大な後ろ盾を手に入れることに成功しました。

 権力の座に返り咲くと、クレオパトラはカエサルに声をかけて、ナイル川を辿る船旅に誘いました。

 そこでカエサルは、エジプト女王の財の豊かさに目を見開かされることになります。

神殿まで付いた豪華な船

 クレオパトラが用意した王室専用船「タラメゴス号」は船長91メートル、船幅約13メートル、高さ約18メートルというゴージャスさで、船内には広間や宴会場だけではなく庭園や2つの神殿までありました。

 カエサルはこのエジプト遠征でクレオパトラに会ってからというもの、人が変わったかのように野心を持って、世界帝国の皇帝を目指すようになったと言われています。

 どうもクレオパトラの豊かな富に刺激を受けたようです。

カエサルからアントニウスへ

 カエサルがブルータスに暗殺されてこの世から去ると、クレオパトラはカエサルとの子と言われている、3歳のカエサリオンをプトレマイオス15世として共同統治者に任命します。

 そして、今度はローマで権力を握っていたアントニウスとの仲を深めていくことになります。

 戦にはめっぽう強いものの、教養に欠けていたアントニウスは、クレオパトラが黄金で飾った船に紫の帆を張って現れた姿を観て、すっかり夢中になってしまいました。

 クレオパトラは、家来たちに銀の櫓で漕がせ、バックでは音楽を流しながら、自身は本物の金の布でできたテントで横たわっていたそうです。

酒と快楽に溺れた日々

 そのときの様子を、プルタルコスは次のように書いています。

「アントニウスが出かけていくと、そこには言葉では言い尽くせないほどの素晴らしいご馳走が並んでいた。なかでも、アントニウスを驚かせたのは、あかあかと燃える無数の灯火だった。灯火は吊り下げられ、一度にあらゆる方向から輝いており、互いの角度や位置によって四角形や円形になるように配置されていたので、これより美しい、あるいはこれより一見の価値のある光景はあまりないと言われていた」

 宝石で飾った食器で豪華な食事を日々楽しんだ二人。

 酒と快楽に溺れた日々を、クレオパトラとアントニウスは次のように名づけました。

「真似のできない生活」

毒蛇に腕を噛ませて自害

 しかし、贅を尽くした日々が、永遠に続くわけではありません。

「アクティウムの海戦」でオクタウィアヌスに敗れた2人は、エジプトへと敗走。海軍は全滅、陸軍は降伏という絶体絶命のピンチのなか、クレオパトラとアントニウスは「死をともにする仲間」の会を作ります。

 名前は違えど、やることは同じで、オクタウィアヌスの軍が迫ってくるまでの間、2人は毎日のように饗宴を繰り返したのです。

 クレオパトラは紀元前30年、39歳のときに毒蛇に腕を噛ませて自害したと言われています。余人には真似のできない人生に幕を降ろすことになりました。

他国から見た世界史とは?

 古代エジプト最後の女王として、壮絶な人生を送ったクレオパトラ。

 財力を十二分に生かした演出が、彼女の美しさを引き出し、ローマの権力者たちを虜にしたのかもしれません。

 アメリカの中学生が学んでいる『14歳からの世界史』では「イタリアのローマ人たちは、クレオパトラのことを、信頼できない、外国の危険人物とみなしたのだ」と解説されています。

 そんな他国から見た歴史人物の評価を踏まえてみると、世界史をまた別の角度から楽しむことができるでしょう。

【参考文献】
クリスティアン・ジョルジュ・シュエンツェ『クレオパトラ』(北野徹訳・白水社)
エディット・フラマリオン『クレオパトラ』(吉村作治監修・高野優訳・創元社)
浅香正『クレオパトラとその時代』(創元社)
『パンセ』(前田陽一、由木康訳・中公文庫)
プルタルコス『プルタルコス英雄伝』(村川堅太郎編・ちくま文庫)