「成功は機会を上手くつかむこと」と言い放ち、どんな敵に対しても抜群の戦略眼で勝利をつかんだカエサル。目の前の戦闘にいかに勝つかだけでなく、この先に起こることを予測し、その機会に焦点を合わせ続けた彼の戦略思考はビジネスでも十分使える。先の見えない時代にこそ知っておきたい、今も昔も変わらない不変の勝利の法則を、ビジネスでも応用できるようにまとめた新刊『戦略は歴史から学べ』から一部を抜粋して紹介する。
【法則2】戦闘で負けないことより機会に焦点を合わせる
ハンニバルのカルタゴ軍が敗北して、ローマは領土をさらに拡大。三頭政治で彗星のように出現したカエサルは、現在のフランスに位置するガリア地方で多くの民族と戦い、全土を征服する。なぜカエサルは、どんな敵にも勝つことができたのか。
英雄カエサル、ローマで内乱を起こす
連戦連勝したハンニバルですが、ポエニ戦争はカルタゴの敗北で終わります。ハンニバルの強さに気づいたローマは戦略転換を図り、ハンニバルがいない敵軍とだけ戦い、ハンニバル軍を避けてイタリア外のカルタゴ勢力を壊滅させたからです。
直接戦闘では無敵のハンニバルも、ローマの仕掛けた総力戦に次第に勢力を削られ、最後はカルタゴ本国へ侵入したローマ軍を追い、ザマの戦いで敗北を喫します。
ザマの戦いから約100年後、ユリウス・カエサルがローマで生まれます。40歳で三頭政治家の一人となり、2年後にガリア地方(現在のフランス周辺)総督となりガリア戦争を開始。ローマ支配に反旗を翻した地方部族に勝利を重ねます。
共和政ローマでは三頭政治と元老院がバランスを取っていましたが、三頭政治家の一人クラッススの戦死で、もう一人のポンペイウスと元老院が結託。ガリア戦争で英雄となったカエサルを排除しようと目論みます。元老院がカエサル軍の解散を命じるも、カエサルは拒否。彼を「国家の敵」と宣言した元老院に対抗して、カエサルは祖国ローマに向けて軍事侵攻を開始します。
紀元前49年、イタリア本土に進攻するためカエサルはルビコン川を渡りました。ポンペイウスと元老院は、カエサルの支持者が多いローマでは不利と判断して南方へ移動。カエサルは彼らを追撃してスペインで元老院側を撃破するも、北アフリカでは配下のクリオ軍が全滅します。
紀元前48年にはファルサルス(現在のギリシャ)でポンペイウス軍と激突。敵の行軍形態を見てカエサルは素早く対策を講じて、右翼からの攻撃で敗走させます。
カエサルはポンペイウスを追ってエジプトに入り、美しい女王クレオパトラと出会い、女王の敵プトレマイオス13世を倒します。紀元前45年にポンペイウス派の残存勢力も一掃しますが、翌紀元前44年3月に元老院の議場内でブルータスに暗殺されます。
成功は戦闘そのものにではなく、
機会を上手くつかむことにある
カエサルは幅広い種類の敵に、異なる戦場で勝利し続けた稀有な人物です。彼の戦略眼を示す言葉を、カエサル自身の著作『ガリア戦記』から紹介します。
「成功は戦闘そのものにではなく、機会を上手くつかむことにある」(『ガリア戦記』講談社学術文庫版より)
カエサルにとって「機会」という言葉は何を意味したのでしょうか。「機会」とは、勝利を待ち構えて先回りできるチャンスをつかむことです。ある情報に接したとき、彼は「その動き(情報)の行き着くところ」を読み、優位な場所を自軍が先回りして手に入れることで度々勝利しました。
ゲルマニア人との戦闘では、敵将アリオウィストゥスの動きから、別の部族(スエビ族)との合流を防ぎ、戦争に必要な食糧の他、物資が豊富なウェソンティオ城市を奪取するため、カエサルは昼夜兼行で進軍して占領し守備隊を先に置いてしまいます。
ベルガエ人との戦争では、他の部族から情報を収集し、ベルガエ人の軍隊が集結しつつあると知ると、食糧補給の段取りをつけた瞬間に出発。あまりにカエサルの到着が早いので、ベルガエ人の一部部族は戦闘を諦めてすぐに降伏したほどでした。
彼の勝利を支えたもう一つの秘密は、適切な場所への砦(城塞)の構築でした。ガリア戦争のクライマックスで、敵のリーダーのウェルキンゲトリクスをアレシア城市に追い詰めたときのこと。丘の上にある城市の中に立てこもる敵は8万人、包囲するローマ軍は5万人、またリーダーの危機を知ったガリア部族は総力25万人で救援に駆けつけました。
ローマ軍は長さ20キロを超える包囲城塞を築き、内側と外側からの敵を受け止め、最後はローマ軍の勝利に終わります。この勝利は、極めて強固な城塞をカエサル軍が1ヵ月をかけて完成させていたことによってもたらされました。