ロシア・ウクライナ情勢、中国の経済面・軍事面での台頭と台湾・香港をめぐる緊張、トランプ前大統領の動きをめぐるアメリカ政治の動揺、そして日本で選挙期間中に起こった安倍晋三元首相襲撃事件……これらのことを見て、「このままで民主主義は大丈夫か」と不安になる人は、むしろ常識的な感覚を持っていると言えそうです。自由な選挙、非暴力の議論、権力の濫用のない政治と国民すべてに平等な機会がある中での経済発展のような、民主主義がもたらしてくれることを期待されている価値観が崩れかけています。決められない、豊かさをもたらさない延々と議論が続く民主主義でなく、専制的であっても決断力と行動力のある、強いリーダーがいいと考える国も出てきています。それでも民主主義が優れていると言えるのは、なぜなのでしょう? 困難を極める21世紀の民主主義の未来を語るうえで重要なのは、過去の民主主義の歴史を知ることです。民主主義には4000年もの過去の歴史があり、時に崩壊し、そのたびに進化を繰り返しながら進んできました。刊行された『世界でいちばん短くてわかりやすい 民主主義全史』は、現代に続く確かな民主主義の歴史をコンパクトに、わかりやすく解説しています。オーストラリア・シドニー大学の著者、ジョン・キーン教授が、西欧の価値観に偏りすぎないニュートラルなタッチで語る本書は、現代を生きるための知的教養を求める日本人読者にぴったりの一冊です。同書の中から、学びの多いエピソードを紹介します。(訳:岩本正明)

民主主義の象徴Photo: Adobe Stock

民主主義の歴史には、明かされない秘密がある

 驚くべきことに、民主主義はその内部に、後世の詮索(せんさく)好きな人々でさえ解き明かせていない、昔ながらの大きな秘密を抱えている。

 例えば、民主主義は古代でも、現代においても、女性として描かれている。

 スーダンの独裁者であるオマル・アル・バシールを失脚させた2019年の抗議の場には、白いトーブを身にまとったアラ・サラーがいた。彼女はデモの参加者に快活な踊りを披露し、尊厳を取り戻すために立ち上がろうと呼びかけた。

 2019年の夏に香港で起きた、中国政府による支配に反対する市民の暴動では、ヘルメットを被り、ゴーグルとガスマスクをつけ、棒と傘を握る4メートルの民主主義の女神像が登場した。

 1989年に北京で起きた天安門事件では、中央美術学院の生徒がデザインした、たいまつを手に持つ民主主義の女神が建てられた。

 さらに時代をさかのぼれば、イタリア人の画家、チェザーレ・リーパ(1555~1622年頃)は民主主義を、ザクロ──人々の団結の象徴──ともだえる蛇を手に持つ農婦として描いている。また、アテネの市民(全員が男性だ)が専制に反抗し、自分たちが制定した法律の下、集会を開く権利を行使した際に、デモクラティアという女神が崇(あが)められていたことを示す証拠が、20世紀の考古学者の手によって発掘されている。

 このデモクラティアに関して、我々が知りうる情報は限られている。ただ、アテネの市民が自分たちの生活様式を意味する名詞として200年近く使っていた単語(demokratia)が、女性形だったことは知られている。また、民主主義のアテネには女神──婚姻と母性を拒絶し、男性の希望と不安に強く影響を与える力を授かっていた──の強力な後ろ盾があったことも知られている。

 アテネの人々は自分たちの政治形態を女性形で捉えていたが、それだけではない。民主主義自体が、神聖な力を持つ女性と関連づけられていた。デモクラティアは崇められ、畏(おそ)れられており、アテネの男性を生殺与奪(せいさつよだつ)する力を持つ超越した存在だった。アテネの軍船の名前が彼女の名前から取られていたのも、建築物や公共の場に彼女の姿が描かれていたのも、そうした理由からだ。

 巨大な神殿がその頂(いただき)に建てられている丘の麓(ふもと)に位置する、アゴラと呼ばれる広場の北西の隅には、ゼウス・エレウテリオス(解放者ゼウス)のストア(列柱のある廊下のある建築)として知られる、寺院があった。内装はとても豪華で、コリントの芸術家であるユーフラノールの手による、民主主義と市民の荘厳な絵画が描かれていた。彼がいかにしてそれらの絵を描いたのかは、いまだに解明されていない。

 絵画は現存していないものの、民主主義と神聖なるものの密接なつながり、そして女神が自分たちの政治形態を守ってくれているという、アテネ市民の信念が果たした重要な役割を物語っている。

 現存している最も有名なデモクラティアのイメージを見ると、その信念がよく表れている。石碑に刻まれたある法律文の上に、デーモス(民衆)を表す髭の生えた高齢の男性を敬愛し、保護する女神が彫られている。

 女神デモクラティアは崇拝者のあいだで熱狂的な支持を集め、彼女の至聖所がアゴラの中に設けられていたという証拠もある。もしそれが真実であれば、石の祭壇が置かれていたはずだ。市民が女性祭司の下で感謝の祈りを捧げ、パンやワイン、蜂蜜、ヤギ、子羊などが献上されていたはずだ。

 女神に対してしかるべき敬意が払われるよう儀式を司る女性祭司は、おそらく神官との話し合いを経て、アテネの有力者の家系から(もしくは抽選により)選ばれていた。

 男性社会においては、女性祭司は冒涜(ぼうとく)を許されない神秘的な権威をまとっており、冒涜した場合には冷遇、中傷、追放、死刑などの罰が科せられるおそれがあった。その見返りに、女性祭司は民主主義のアテネに厄災がふりかからないよう、保護する役割を担っていた。儀式にはしかるべき結果が伴い、民会[古代ギリシャにおける市民参加の議決機関]で不正行為──例えば、著名な市民による愚かな決断──があれば、オリーブの不作、不漁、民主主義の自壊などの報復リスクがあった。