岩手で最も古くて小さな蔵の兄弟が、再起を懸けて醸す純米酒

新日本酒紀行「あづまみね」東根山の伏流水が仕込み水で洗瓶にも使う Photo by Yohko Yamamoto

 全国最大の杜氏集団である南部杜氏のルーツといわれる吾妻嶺酒造店は、17世紀に近江商人の初代が旧志和村を訪れ、米が取れ水も良いと酒蔵を創業。上方の当時最先端の酒造技術を使い、南部藩になかった澄み酒を造った。酒造を地元の農家が手伝ったことが南部杜氏発祥のきっかけとなる。13代目の佐藤元さんが蔵を継いだのは1998年、27歳のとき。当時は地元向けの安い普通酒が主で年々売り上げが下降、赤字続きの八方塞がりになる。量から質へと、わらにもすがる気で純米酒造りへ舵を切るが、県内の酒販店と客からは「その1本でパック酒が2本買える」と見向きもされなかった。

 県内一辺倒だった販路を、探し求めて全国行脚。地元から「吾妻嶺は岩手を捨てた」と悪口を言われても純米造りに邁進。それでも蔵の経営は厳しく、電気技師だった実弟の公さんに「力を合わせて蔵を再建しよう」と頼み続けた。後に公さんは蔵に入るが、意見が合わず殴り合いの喧嘩も。それでも酒を造り続けるうちに、和解した。公さんが杜氏になった年、東日本大震災で被災。築150年の蔵は壁が全て崩れ、停電で酒が搾れず廃業の危機に直面したが、災いを転じて福となす。被災地支援で取引が増え、経営が安定した。