1990年代末に若者の間で爆発的なブームを巻き起こした腕時計「G-SHOCK」。今では世界100ヵ国以上に展開し、累計出荷本数は1億4000万本を超える。「若い男性向けのごつい時計」のイメージは一新され、スポーツ選手やアーティスト、アニメなどとコラボを重ね、幅広いターゲットにリーチしている。1983年の発売から約40年。発売当初は年1万本程度しか売れなかったG-SHOCKはいかにして世界的ブランドに成長したのか。これからG-SHOCKはどこに向かうのか。マーケティングのOS力を鍛えるオンライン勉強会「マーケリアルサロン」のトークイベントで、カシオ計算機の時計マーティング部の上間卓部長が語った内容を、この前編と計2回に分けてお届けする(敬称略)。(構成:栗下直也)
たった1行の企画書から生まれた
本日のテーマである「GーSHOCK」は開発者の伊部菊雄による、たった1枚、それも1行だけの企画書から生まれました。
「落としても壊れない丈夫な時計」。
市場における競争力や商品の将来性などは一切書かれていませんでしたが、企画は承認され、1981年に開発が始まりました。
右肩上がりに売れ続けているイメージをお持ちの方もいらっしゃるかもしれません。ですが、実態は全く異なります。
80年代に売れていたのはアメリカだけで、それも警察官、消防士、軍人などが実用性を求めて買い求める商品に過ぎませんでした。日本では全く売れない状況が続きましたが、90年代に入ると潮目が変わります。アメリカでスケーターやサーファーから支持されて、このムーブメントを逆輸入する形で日本国内でもようやく認知されるようになりました。会社も90年代半ばからプロモーションを本格的に始め、97年に大ブームが巻き起こります。
エアジョーダン、エアマックスなどを筆頭に空前のスニーカーブームが追い風となり、若者の間でG-SHOCKとスニーカーをセットで身につけるスタイルが流行ったのがきっかけでした。当時のストリートファッションはシルエットがゆったりしていて、ごついG-SHOCKとの相性も良かったんですね。ストリートから人気に火がつくと、年長世代の関心も集まり、G-SHOCK人気は社会現象にもなりました。
暗黒時代にわかった「見当違い」
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もちろん、ブームはいつか終わりますが、その反動は非常に大きいものでした。売り上げは右肩下がりで、2000年代初頭まで暗黒の時代が続きました。商品の形を変えたり、個性のある色をつかったり、手を尽くしましたが何をやっても売れませんでした。
ブーム当時に業界ではご法度だった白やスケルトンのモデルを投入して売れていたこともあり、われわれとしては「G-SHOCKは、とんがっているブランドだから支持されていた」と思っていたのですが、これが全く見当違いだったことも後でわかってきました。商品が支持されたわけでなく、単純に「流行っていた」から売れていただけ、だったのです。
そこで、原点回帰して、「時計の本質に立ち戻ろう」となりました。
原点回帰で究めたこと
精度を高めるために、「止まらない、壊れない、狂わない」のキャッチフレーズを2002年に打ち出します。電波ソーラー化を図って、世界のどこにいても正確な時間を実現しました。今ではブルートゥースを搭載することで、ビルの影などでも正確な時間を刻めます。
基本性能を高めると同時に、「タフネス」を強化するために、土・砂・泥等の侵入を防ぐ「マッドレジスト」や耐衝撃性に耐遠心重力、耐振動を加えた「TRIPLE G レジスト」という新しい構造を採用してプロダクトも進化させてきました。
とはいえ、基本性能の高さとタフネスさだけでは時計は売れません。デザイン面の向上も不可欠です。そこで意識したのが、CMF(カラー、マテリアル、フィニッシュ)です。
カラーは白やスケルトン、レインボーカラー、マルチカラーと進化させてきました。マテリアル=素材もウレタンからステンレス、チタン、カーボン強化樹脂やコバリオンなど耐久性の高い素材を追求してきました。フィニッシュ=仕上げでは、レーザー加工や時計の表面に凹凸をつけられるマルチアングルプリントと呼ばれる技法を取り込みました。
ブランドを育てる「ファンづくり」
現在、G-SHOCKのコアなファンは40代が中心です。つまり、90年代の大ブームを知っている層です。彼らが「G-SHOCKを久々に欲しいな」と思っても、それなりに年を重ねるとプラスチックの時計には抵抗があるでしょう。素材や仕上げの質感を高めることで、彼らを市場に呼び戻せるだけでなく、純粋な時計好きのセカンドウオッチとしての需要も確実に取り込めています。
市場には常時、約500モデルが流通しています。その中でも特にシンプル系の5600、2100、タフデザイン系の110、6900の4モデルを代表的なモデルに位置づけています。時計のトレンドは「シンプル」「小さい」「薄い」と「ゴツい」「大きい」が5~10年周期で繰り返します。シンプル系とタフデザイン系の2ラインを展開することで、トレンドに敏感に反応できます。
ブランドを育てるには「ファンづくり」は欠かせませんがG-SHOCKも「ファンが創り ファンが語り ファンを増やす」を長年掲げてきました。これはG-SHOCKの本質を知ってもらい、ファンになってもらう戦略です。
具体的には幅広いジャンルとのコラボレーションを仕掛け続けています。ブランド同士のコラボは今では当たり前ですが、私たちは90年代から取り組んできました。特に2000年代からはファッションはもちろん、スポーツ、音楽、アート、アニメなどさまざまなカルチャーを意識して組んできました。
われわれは時計好きだけをターゲットにしているわけではありません。ぞれぞれの分野にファンをつくって、そのファンに語り部になってもらい、ファンをどんどん増やすために、コラボに注力しています。
コラボモデルは売り上げももちろん大事ですが、われわれはコミュニケーションモデルと位置づけています。みなさまに、どのような話題を提供できるかに重きを置いてきました。
最近売れ行きが良かったコラボではタカラトミーのキャラクター「トランスフォーマー」とのコラボがあります。トランスフォーマーもG-SHOCKも日本で生まれてアメリカで広がった製品です。しかも発売時期もほぼ同じという共通点もありました。このコラボでは時計をつくるだけでなく、コラボ専用のロボットをつくっていただき、時計とセットにして全世界で販売しました。そうすることで、時計に興味がなくても、世界中に何億人もいるトランスフォーマーファンに関心を持ってもらえます。もちろん、G-SHOCKファンも飽きさせません。多くの人に確実に届くコラボになりました。
ファンづくりにおいては、当然、プロモーション活動も不可欠です。
G-SHOCKには多くの有名人のファンがいます。例えば、ラッパーのカニエ・ウェストやエミネムがミュージックビデオでG-SHOCKを着用していますが、われわれが依頼してのことではないんです。彼らの私物で、本人の意志で使ってくださっています。
有名人が着用する影響は大きいが…
カシオ計算機株式会社 営業本部マーケティング統轄部 時計マーケティング部部長
カシオ計算機に入社、時計の国内営業にてキャリアをスタートし、時計戦略部・時計マーケティング部と入社以来一貫して時計部門に携わる。G-SHOCKブランドの創成期から、100ヵ国近くで販売されている現在では、商品・流通・プロモーションとグローバルマーケティングを推進している。近年はリアルとデジタルマーケティングの融合に注力している。
映画ではキアヌ・リーヴスの『スピード』が有名です。キアヌ扮するジャックが「DW-5600C-1V」を着用し、暴走バスに乗り込みますが、実はあれも私物です。
有名人が着用している姿がメディア露出すると影響はとても大きいです。ただ、効果は大きいのですが、狙ってできることでもありません。G-SHOCKファンの有名人にイベントに出演してもらったり、アンバサダーとして契約したりすることもありますが、われわれはファンでない有名人に働きかけることは絶対にありません。つまり、好きで使っていただけないと、成立しないのです。喜んでもらえるプロダクトを世に送り出しながら、ファンを増やす仕掛けをこつこつ作るしかありません。
もちろん、有効なプロモーションツールもあります。今の時代に「ファンづくり」を考える上では、SNSが欠かせません。われわれはSNSをコミュニティ形成の場と考えて、約10年前から積極的に取り組んでいます。幅広い年齢層をターゲットにしているため、SNSごとに訴求の方法も変えています。
例えば、G-SHOCKのフェイスブック・アカウントのフォロワー数は時計業界で最も多く、1000万人を超えています。30~50代の男性が中心です。興味深いのは、フェイスブックで知り合ったファンが自発的にコミュニティをさらに形成しています。世界中で50ぐらいありまして、まさにファンの交流の場になっています。
インスタグラムのフォロワーは約400万人で20~40代の男性が中心です。フェイスブックとの違いは、商品の投稿への意識が高い点です。アクセス数が明らかに上がります。ですから、ファッションやライフスタイルを意識したコミュニケーションになっています。
今後もユーザーが何に関心があるかを見極めながら、全方位のアプローチを続けていきたいですね。(明日公開の後編に続く)