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仕事で成果を上げるには周囲の協力が不可欠です。そこで重要なのが、いかに上手く人を動かすかということ。命令で動かすのは権力であり、スキルではありません。相手をその気にさせて自主的に動いてもらうにはどうすればよいのでしょうか?

※本稿は、佐藤 優『君たちの生存戦略 人間関係の極意と時代を読む力』(ジャパンタイムズ出版)の一部を抜粋・編集したものです。

人を動かす秘密(1)――「信念の体系」

 自分一人でできることは限られています。仕事で何かしら成果を上げるためには、周囲の協力が不可欠です。そこで重要になるのが、周囲の人をいかに上手に動かすか?動いてもらうようにするか?ということです。あなたが上司であれば直属の部下を命令によって動かすことができるでしょう。ただ、高いモチベーションを持って動いてくれるかどうかは別問題ですが。

 命令で人を動かすことは相応の立場でなければできません。そもそも、命令や強制によって人を動かすというのは権力であってスキルではありません。社会的に強い立場の人間が、その力を利用して相手が嫌がること、本意ではないことを強制する力が権力の本質です。どんな人間でも権力の座に就けば人を動かせます。それは力でありシステムであって、スキルとは違います。

 本当の意味で人を動かすということは、相手をその気にさせて自主的に動いてもらうことをいいます。その点で有効なスキルが、相手の「信念の体系」に働きかけるということです。どんな人でも自分の価値観や価値体系を持っています。それがどんなものであるかを見極めた上で、それを後押しする形で促すのです。

 例えば、会社の中で研究開発職に就いていた人が、その部署では強力なライバルがいて到底出世できないと悩んでいるとします。一方、彼は人と話すのが好きで研究室に閉じこもっているよりは、外に出たいと考えているとしましょう。

 そうであるならば、一度考え方を180度転換し、彼に営業職に移ることを勧めてみるのです。研究職で学んだ知識は、他の営業マンにはない強みです。その強みを生かせば、きっと新しい可能性が開けるはずです。相手の価値観や信念の体系に合わせて、それに訴えかけることで相手をその気にさせるのです。

自分を認めてくれる相手に人は心を開く

 もうお気づきだと思いますが、相手の信念の体系を知るということは、相手の内在的論理を知るということとほぼ同じです。相手が何に価値があると考え、何を価値が低いと考えているか? 善悪や好き嫌いの基準はどこにあるか? 人生の目的をどのように設定しているか? 信念の体系とは、つまりは相手の内在的論理にほかなりません。

 信念の体系に働きかけることは、相手を動かすことにも有効ですが、何より相手に好かれるためにも大いに力を発揮します。誰でも自分をよく理解してくれる人をありがたく感じ、大切に思うでしょう。自分の信念、価値観を理解し、それを尊重してくれるわけですから当然のことです。自分を認めてくれる相手に対して、人は心を開き、いろんなことを語りたくなるものです。

 実は意識せずとも、人間関係をつくる上で人は自然にこのことを行っています。恋愛などはその典型的な例でしょう。相手を好きになれば、自然に相手のことを知りたくなります。何が好きなのか? 何を大切にしているのか? どんなことをすると機嫌がよくなり、どんなことをすると怒るのか?

 自然な形で相手の信念の体系(内在的論理)をつかもうと必死で頑張ります。そしてそれに従って、相手が食いついてくるようにデートに誘ったり、自分を好きになってもらおうと、さまざまなアピールをするわけです。

 そう考えると、内在的論理を知り、信念の体系をつかもうとする行為は、相手を好きになることと似ているとも言えます。こう言うとそんな単純なことかと思うかもしれませんが、これは深い真理でもあります。相手が嫌いだと、そもそも相手を深く知りたいとさえ思わないでしょう。

 相手に対して好意を持ち、好意的に解釈ができるからこそ、深く相手を知ることができます。その上で、相手を肯定しながら前向きな話をしたり、提案したり、アドバイスができるわけです。

 好意が相手に伝わるから、相手もその気になり、こちらに対して好意と信頼を覚えてくれるようになります。建設的で前向きな人間関係の循環に入っていくのです。スキルを超えた人間関係の極意が、ここにあるように思います。

人を動かす秘密(2)――「感化の力」

 信念の体系に働きかけることと同じくらい有効な方法に「感化の力」があります。

 私自身、今の自分の価値基準や考え方の根本に、多くの人からの感化があります。私はプロテスタントのキリスト教徒ですが、それは私の母親の影響(感化)が決定的でした。沖縄の久米島で生まれ育った母親は、太平洋戦争の壮絶な沖縄戦で九死に一生を得ました。その中で絶対的な神の存在を確信し、キリスト教徒になりました。「わたしが沖縄戦で死んでいたら、あなたはこの世にいなかった」とよく話していました。そして、「神様からもらった命だから大切にしないといけない。イエス様がしたようにはとてもできないけれど、自分の命を人のために役立てる生き方をしないといけない」と話していました。

 母親の言動によって感化されることで、私自身の人格の根っこにキリスト教の教えが自然に沁み込んでいったように思います。母に連れられて日曜日にはよく教会に行きましたが、そこで会った信者の人たちや牧師さんにも大いに感化されました。直接キリスト教の教えに触れるよりも、キリスト教を信じる身近な誰かの存在によってより強く影響を受けたと言えると思います。

 これはキリスト教に関してだけでなく、その後の私の読書体験、勉強やその他の体験に関しても同様です。国語や数学などの勉強に関しては、塾の先生の影響がとても大きかったですし、マルクス主義に関しては、塾の先生だけでなく母方の伯父の影響がとても大きかったです。

 人は何ものかに影響され変容した人物に直接触れることで、同じような変容を遂げることが往々にしてあります。その人が持つ存在感や、雰囲気、波動、そしてオーラのようなものが、自分の中の何かと共鳴するのかもしれません。