世界には多様な生き物がいるけれども、直立二足歩行するように進化したのは人類のみであるという。それは何故なのだろうか。実は、「一夫一妻」の社会を作ったことが関係している──。ユーモアたっぷりに教えてくれるのは、ロングセラーとなっている『若い読者に贈る美しい生物学講義』。分子古生物学者である著者が、身近な話題も盛り込んだ講義スタイルで、生物学の最新の知見を語っている。
養老孟司氏「面白くてためになる。生物学に興味がある人はまず本書を読んだほうがいいと思います。」、竹内薫氏「めっちゃ面白い! こんな本を高校生の頃に読みたかった!!」、山口周氏「変化の時代、“生き残りの秘訣”は生物から学びましょう。」、佐藤優氏「人間について深く知るための必読書。」と各氏からも絶賛の声。本稿では本書より一部を抜粋・編集して「人類だけが直立二足歩行をするようになったことに関する仮説」について紹介する。(構成:小川晶子)
ヒトはいかにしてヒトになったのか
私たちヒトは、地球上の他のどの生物とも違う特別な存在としてふるまっているけれども、「類人猿」グループに属するメンバーである。
類人猿とは、小型類人猿のテナガザルの仲間をのぞくと、オランウータン、ゴリラ、チンパンジー、ボノボ、ヒトの5種類。サルの仲間の中でも、尾がないグループだ。
たしかに、動物園でチンパンジーなどに会うと、親戚にいそうな感じがする。目が合えば「あっ、どうも」と会釈してしまう。
とは言え、ヒトとチンパンジーは大きく違う。
第一、彼らはみんな毛むくじゃらだ。賢いとは言っても、ヒトと比べれば全然だ。やはり、ヒトは特別な進化をしたのではないだろうか。
本書によると、ヒトの特徴である「体毛が薄いし、脳は約1350ccと大きいし、二足歩行だし、牙がない」という4つのうち、最初に進化したのは「直立二足歩行」と「牙を失ったこと」だというのが化石からわかっているらしい。
直立二足歩行をはじめたのと、牙を失ったのがほぼ同時に起こって、ヒトの祖先は他の類人猿から分かれた。
体毛が薄くなったのと、脳が大きくなったのはもっと後の時代に起きたそうだ。
直立二足歩行の進化をしたのは人類だけ
ここで、がぜん気になるのは、ヒトの祖先はなぜ立ち上がった?(そして、それがなぜ次世代に受け継がれた?)ということではないだろうか。
いや、他の類人猿だって立つことはできるけれど、直立二足歩行をするのはヒトしかいない。
チンパンジーも二本足で立って挨拶してくれるが、食べ物を投げると四本足で走って取りに行く。
ニワトリやペンギンのように二足歩行をする生物も、「脚と脊椎を垂直に立てて行う二足歩行」という直立二足歩行の定義から外れるので、直立二足歩行をするのは人類だけということになる。
(p.175)
これは意識したことがなかったが、ものすごく不思議だ。
本書ではこれに対する仮説を丁寧に解説している。仮説の検証の仕方も含め、とても興味深くて一気に読んでしまう。その一部をここで紹介したい。
まず、提示している仮説はこうだ。
(p.194)
これは、直立二足歩行とほぼ同時に起きた「牙を失った」進化の理由を説明するものである。
一夫多妻や多夫多妻の社会を作っている大型類人猿は、メスをめぐってオス同士の争いがしばしば起こる。
それを反映して犬歯が大きい。しかし、一夫一妻の社会ではメスをめぐるオス同士の争いは少ない。
だから、一夫一妻の社会を作ったヒトの祖先は牙を失ったのではないか、というわけだ。
この仮説を検証するために、直立二足歩行のほうからも考えてみる。
直立二足歩行には「走るのが遅い」という致命的な欠点があるのだが、その欠点を差し引いてもメリットがあるといえるくらいのものが見つかりそうだ。
それは、両手が空くので食料を運べるというメリット。
走るのが遅いから敵に見つかるとやばいけれど、その危険をおかしても、子どもに食べ物をとってきてあげるということができる。
子どもが生き残る確率が高くなる。これが、一夫一妻の社会で有利に働くのだ。
立ち上がった類人猿の物語
たとえば、四足歩行の類人猿の群れに、突然変異で直立二足歩行をするオスAが生まれたとしよう。
次のストーリーは、本書の仮説をもとに筆者が創作したものである。
「アイツ、変わっているよな~。いつも二本足で歩いているぜ」
「敵が来たとき、まっさきにやられるのはアイツだろうな。逃げ足が遅すぎるもん」
そんなふうに思われながらも、大人になってパートナーとの間に子をもうけたAは、自分の子に食べ物を持っていく。
「ありがとう、パパ」
Aの子どもたちは食べ物をもらい、すくすく元気に育っていく。
おっとりしていて他の子にすぐ食べ物をとられてしまうタイプの子でも、お父さんが食べ物を運んでくれるので生き延びることができた。
あるとき不幸にもAは他の獣に襲われて亡くなった。しかし、Aの子どもたちが3人いた。
彼らは直立二足歩行を受け継いでいた。彼らはAと同じように自分の子に食べ物を運んだ。やはり子どもたちは生き延びやすかった。
こうして、直立二足歩行の仲間が増えていった。すなわち進化したのである……。
こうしたストーリーが成立するのは、一夫一妻の社会だからだ。
一夫多妻社会なら、メスたちが子どもの面倒を見るからオスはそもそも子育てにあまり参加しないし、多夫多妻の場合は、食料を運んであげたことによって生き延びた子が自分の子かどうかはわからない。
自分の子でなければ、直立二足歩行は受け継がれない。
要するに、ちょっと乱暴にまとめれば、一夫一妻の社会をつくった類人猿がいて、そこでたまたま直立二足歩行する個体があらわれたからこそ、人類になったのだ。
争いをやめて、パートナーや子どもを大事にしているうちにヒトになった。
そうか、それがヒトなのか! 大きな発見をしたような気分だ。
著者曰く、「正直にいって、それほど強い仮説ではない。しかし、現時点では、これが最良の仮説と考えられる」。
もしかしたら、この先別の仮説も出てくるのかもしれないし、この仮説がもっと強化されるのかもしれない。今後の研究にも期待したい。
いずれにしても、ヒトの祖先をイメージしながら、進化の検証をするのはとてもエキサイティングだ。ぜひ本書を片手に体験してみてほしい。