「見た目は変で、しゃべりも下手、お笑い芸人としての才能もない」と思いこみ、コンプレックスのかたまりだったスリムクラブ・内間政成さんは、そんな自分を人に知られないように、自分の本心を隠し、見栄を張って、いつわりの人生を送ってきました。しかし、それはどうしようもなく苦しかった。自分で自分を否定しているようなものですから。
ある出来事をきっかけに、内間さんは自分自身と向き合い、自分という存在を少しずつ受け入れられるようになっていきます。その結果、何が起きたのか。今まで自分の欠点だと思い込んでいたことが、そうじゃないことがわかってきました。自分の欠点を「欠点だ」と決めつけているのは、他の誰でもない、自分自身だったのです。
「僕はカッコ悪い」「僕は人をイラつかせる」「僕は恐れ過ぎている」「僕はすぐ調子に乗る」「僕は怠け者」と、自分の欠点をさらけ出せるようになった内間さんはいま、ストレスフリーの時間を楽しそうに生きています。そんな内容の詰まった本が、内間政成さんの書籍『等身大の僕で生きるしかないので』です。無理やり自分を大きく見せるのではなく、等身大の自分を受け入れれば、人生は好転する。そのためのヒントを本書からご紹介します。(撮影・榊智朗)
知らないことが多過ぎるけれど、そのおかげで盛り上がったり、皆が教えてくれる
当然、知っていることが多い方が、より人生を豊かに生きられると思います。しかし、知らないのにもかかわらず知っているふりをすると、人生が重苦しくなります。これは当然のことだと思うかもしれませんが、それをしてしまうのが僕でした。
では、なぜそれをしてしまうのか? それは「思い込み」が原因です。でも、それを紐解くことによって何を大事にして生きたいのかを知り、より豊かに楽に生きられると思います。
僕は知らないことが多いです。昔からそうでした。元を正せば幼少時代の我が家での情報が乏しかったのが始まりだと思います。
僕は6歳から15歳までテレビを見ていません。テレビ禁止でした。原因は僕の視力低下です。それは幼稚園の健康診断で判明しました。そしてお袋が、テレビは目に悪いという情報を聞きつけて、そういう結末になったのです。
お袋は根っからの健康第一主義者で添加物を憎み、自然を愛する女性です。だから僕は、家族で外食をしたことがありません。
一度、僕と弟があまりにもマクドナルドに行ってみたいと駄々をこねたので、渋々家族で行ったことはありますが、お袋だけは何も注文しませんでした。そして、恨めしそうに僕らの食べているチーズバーガーを覗き込むのです。
かなり緊張感がありますよ。食べ辛く、三分の一は食べましたが、リタイアしました。このような出来事はありましたが、1カウントに数えることはできません。
そんなお袋にとって僕の視力低下は、まさに有事です。そしてすぐに対策に取りかかります。その気持ちはありがたいのですが、一度思い込んだら吟味せずに突き進む性格なので、かなり戸惑います。
まず手始めに行われたのは、マッサージです。幼稚園から帰宅するとすぐさま、お袋に首根っこを掴まれ横にさせられ、こめかみをマッサージされます。マッサージと言えば聞こえは良いのですが、その行為はマッサージとはほど遠いものでした。
お袋の右手人差し指を第二関節で曲げ固定し、グリグリと僕のこめかみにめり込ませます。シンプルに痛い! それを伝えるとお袋は、効いていると思い込み、更に力を発揮するのです。だから僕は小一時間毎日無言を貫き通しました。
他にも食生活が変わりました。自然食というベースは変わらないのですが、そこに「鰻の胆嚢(たんのう)」が加わったのです。それが目に良いと、恐らく信頼を置いているナカヤマのおばちゃんから得た情報だと思うのですが、毎日刺身屋さん(沖縄では魚屋を刺身屋という)でそれを買って来ました。ただそこで鰻の胆嚢のみしか買わないので、かなりの偏食家族だと思われていたかもしれません。それよりも、幼稚園児におかずが鰻の胆嚢っていうのはかなりキツイです。確か生だったと記憶しています。それは苦くて原始人でも無理だと思っていました。
「ふり」をしてしまう生き方
そして第三弾が、テレビ禁止なのです。小学生にそれは過酷でした。学校では「昨日○○見た?」とテレビの話題ばかりです。その場に参加はしたいのですが、積極的にはできません。でも、見てないとも言えないので、「あー、はい、はい、あれ面白かったね!」とドキドキしながら見たふりをしていました。そうしないと、除け者にされ嫌な思いをすると思い込んでいました。
当時は、「8時だョ! 全員集合」や「オレたちひょうきん族」が流行っていました。そして同じ時間帯だったので、どっちを見たかと、前者派と後者派に分かれていました。だから僕はそれを利用して、前者派の前では後者派、後者派の前では前者派を装って情報を収集し、他で話していました。
ただ、強敵なのはザッピングをして両方見ている友達です。その場合は、「両方見るって器用だね」の話題を膨らませて難を逃れていました。こんなふうに誤魔化しでも、何とか通用してきたと理解したのでしょう。だんだん反射的に「ふり」をしてしまう生き方をしてしまいます。
今でも忘れられないのが高校2年のときです。友達の家でご飯をご馳走になりました。そのときのメニューは「水炊き」。僕はそれを一度も食べたことがなくて、存在自体も知りませんでした。しかし反射的に、「うまそう。久しぶりに食べるなー」と言ってしまったのです。
そして鍋の中の具材を器に盛り、そのまま食べました。不味い! 味がない! 当然です。ほぼお湯の味なのですから。それを見ていた友達が不思議そうに、「お前珍しいな。ポン酢使わないんだ?」と言ってきたのですが、僕は「お前の方こそ珍しいな。オレはずっとこの食べ方だよ」と強がってしまったのです。もう突き進むしかありません。かなりの量を食べましたが、最後までポン酢を手にしなかった自分に感服です。
今振り返ると僕は、「知らない」ということがかなり惨めなことで、そのことがみんなに洩れてしまったら、とんでもない仕打ちを受けると思い込んでいました。だから頑張って、知っているふりをし、みんなと一緒感を保とうとしていたのです。
でもそれはあくまでも「ふり」で嘘です。また、こういう行為をすることで成長すると思い込んでもいました。果たしてそうでしょうか? 疲れました。少し冷静になり、極端かもしれませんが、自分に国籍がないという気持ちで自分のことを見つめ直して見ると、ある気づきが生まれました。「俺は、小さいコミュニティで、たまたま得た知識だけで生きているな」と。そこで僕は、自分とってはタブーの「知らない」を告白してみようと思いました。
何て素敵な世界なんだ
芸人になってからの話ですが、子どもの頃好きだったお笑い番組の話題になりました。僕の世代は、ほぼほぼ前述した番組です。僕は勇気を振り絞って、「見てないので知らない」と告げたのです。
すると、僕が恐れていたことは何も起きなかったのです。それどころか、「信じられない!」「じゃあその時間何してたの?」「それはある意味貴重だよ」と盛り上がったのと同時に、色々教えてもらえたのです。
何て素敵な世界なんだ。不思議な感覚でした。だから僕は、自分の中にある真実をもとに素直に生きることが、幸せだと思います。そして僕は、これからもこの精神を軸に生きたいと思います。
あっ、それと報告が遅くなりましたが、お袋のおかげで視力が0.5から2.0まで上がりました。
芸人。スリムクラブ ツッコミ担当
1976年、沖縄県生まれ。2浪を経て、琉球大学文学部卒業。5~6回のコンビ解消を経て、2005年2月、真栄田賢(まえだ・けん)とスリムクラブ結成。「M-1グランプリ」は、2009年に初めて準決勝進出。2010年には決勝に進出し準優勝。これをきっかけに、人気と知名度が上昇。「THE MANZAI」でも決勝進出。2021年1月、「2020-2021ジャパンラグビートップリーグアンバサダー」に就任。