タワマンは「迷惑施設」か?不動産ジャーナリストが社会問題化を訴える理由写真はイメージです Photo:PIXTA

近年、都市部の新たな居住形態として定着したタワーマンション。不動産ジャーナリストの榊淳司氏は、その背景に「国による規制緩和」の歴史があると強調。際限のない建設による、空き家の急増といった社会問題について警鐘を鳴らす。

※本稿は、榊淳司『限界のタワーマンション』(集英社新書)の一部を抜粋・編集したものです。

タワーマンションの歴史は
実質20年

 日本のタワーマンション第一号は住友不動産が1976年に埼玉県与野市(現・さいたま市中央区)に建てた「与野ハウス」だといわれている。そこから考えれば、日本のタワーマンションには40年以上の歴史があるように思える。実際にそのように書かれている書籍もあるが、私はそうは思わない。

 タワマンが本格的に竣工し始めたのは、2000年頃からである。その背景には、建築基準法改正などによる規制緩和がある。

 そもそも容積率の規制が本格的に始まったのは1970年である。その頃には建築技術の著しい向上が見られ、高層建築物がわりあい容易に建てられるようになっていたのだ。そこで規制が設けられた。

 当初は用途が第一種住居専用地域で最大200パーセント、商業地域は400パーセントが標準で、最大値は1000パーセントとされていた。これまでにも容積率という言葉が出てきたが、ここで簡単に説明すると、延べ床面積の敷地面積に対する割合である。その敷地面積に対してどのくらいの大きさの建物を建てることができるかといった目安となる。容積率が200パーセントならば、敷地面積いっぱいに建物を建てるなら、二階建まで可能ということだ。

 その後1980年代頃から徐々に容積率は緩和されていった。

 大きな転機は1997年の建築基準法改正だ。これによってマンションなどの共同住宅の場合は廊下や階段、ホールなどの共用部分が容積率不算入とされた。容積率の実質的な大幅緩和である。

 この改正以後、やたらと豪華な共用施設を備えたタワーマンションが多くなってきた。エントランスホールがシティホテルのように豪華になったのも、この改正以後のことである。

国を挙げて
建設を応援

 そして2002年にまた建築基準法が改正された。これによって建築基準法第52条第8項で定められた道路や緑地、歩道、あるいは住戸の広さに関する規定を満たした「一定の住宅系建築物」の容積率が、大幅に緩和されることになった。

 この法改正で超高層マンションの建設も視野に入れて、住居系エリアで最大500パーセント、商業地域では最大1300パーセントにまで緩和された。さらに高層住居誘導地区内の建築物においては隣地の日照を保護するために課されている斜線制限の適用が除外されている。つまりタワマンが建てられる場所では、まわりの建物が多少日影になってもOKですよ、という規制緩和である。それ以前の斜線制限などを守っていればタワマンなどは到底建築不可能であったのだが、その規制を一気に取り払った。まるで「タワマン誘導地区」である。つまりこれは、タワマンを作らせるための建築基準法改正だった。

 まさに国を挙げてタワマンの建設を応援しだしたのである。

 こうした規制緩和が積み重なって、2000年頃からタワーマンションの竣工が飛躍的に増大した。