2012年夏、拠点を中国から米国に移す前、政府系シンクタンクで開催された「世界情勢と中国の役割」に関するシンポジウムにスピーカーとして参加した。周りは皆、中国共産党の政策に影響力を持つトップクラスの研究者や分析官ばかり。彼らの年齢は皆私の父親くらい。言語は中国語。外国人は私一人だけ。

 私は「中国共産党ガバナンス力低下の原因と構造」を必死に説いた。中国語も説得力も、ほかの参加者と比べて劣っているとは決して感じなかった。しかし集団的に「君は中国のことを分かっていない」とナショナリズムをむき出しに反駁されると、その異様な雰囲気に飲みこまれてしまい、自らのイメージ通りに議論を展開できなかった。遠慮がちになり、相手の懐を捉えきれなかった。

 また先日、世界を代表するアメリカの中国問題研究者と“ガチンコ”で議論をした。相手も私の存在や経験を尊重してくれ、対等な立場で交流させていただいた。言語は英語。中国民主化の行方、ナショナリズムの現状、成長モデルの転換など、テーマは多岐に渡った。

 終始、自分が相手に比べて現代中国を理解していないとは感じなかったし、実際、例に挙げるケースや事象、背景や構造の説明からしても、私は互角以上に渡り合えていた。それでも、最後の最後で論破しきれない局面が続いた。

 相手が大家だからか、英語による議論だからか、ここがアメリカだからか……。遠慮がちになり、相手の懐を捉えきれなかった。

 以上二つのケースにおいて、私は全力を尽くしたし、体裁も保ったが、後味は悪く、自分の中でわだかまりが残るあの感覚。悔しさの中にも笑みを浮かべずには“いま”という時間と“ここ”という空間に向き合えないあの感覚――。

「これが現実か……」

 “あの感覚”はやみつきにもなっていく。自信と不安が入り混じる心境を必死にコントロールしながら、得体の知れない未知の世界へと足を踏み入れ、ぶつかっていく日々。「本当に無理だな」とショックを受けることもあれば、「頭では分かっているのになんで……」、とやりきれない悔しさを感じることもある。

 でも、笑わずにはいられない。

 いま、世界のどこかで、日本人として、ひとつの“個”として孤軍奮闘している方なら、私が言わんとしているコトバの真相が分かるはずだ。

「日本人=いい人」でいいのか

 私や私と同世代の人たちは、いわば“ポストバブル世代”だ。日本国内で元気になるようなニュースを聞いたことがほとんどないジェネレーションである。それだからか、刺激や活力を感じられず、「このままではいけない」と勇気を持って祖国を飛び出していく人も多い。