毒家族と健全な家族の違い
どんな人でも「毒」の特徴や態度を見せることはあります。完璧な人などいないのですから。
これから毒親の例を中心に話をしますが、この知識は親以外の他の毒家族にも当てはまります。どんな親でも図らずも子どもを傷つけてしまうことはあります。
どれほど健全な親でも、子どもが親の愛情を必要としているときに必ずそれを与えてあげられるわけではありません。もしあなたに子どもがいるのなら、きっと親として深く後悔した瞬間があるでしょう。
ですが、そのような過ちは子育てにおいてままあることで、そのせいであなたが毒親であるということにはなりません。
子育てを完璧にこなせないのは、人間的で、ごくあたり前のことです。そんなとき健全な親なら、子どもを傷つけてしまったことをひどく後悔します。自然に湧き起こる罪悪感と自責の念に駆り立てられて、償おうとするでしょう。間違っても、自分を恥じる気持ちを子どものせいにして、自分を正当化しようとはしないはずです。
しかし毒家族はそれをします。
脆い心を持った彼らにとっては、自分が嫌な思いをする理由を誰かになすりつけるほうが楽なのです。毒親は子どもの無垢な心を捻じ曲げ、何も欲しがらずに大人しくしてさえいれば、親ももっといい親になってくれるのだと子どもに信じ込ませます。
子どもは親が間違っているとは見抜けません。自分が原因ではない行動やトラブルの責任を不当に被らされ、知らぬ間に罪の意識を吸収し背負い込んでしまいます。そんなことが起こるたびに、子どもは自分が「悪い子」なのだと思い込むようになるのです。
私やあなたを含め多くのサバイバーは時間とともに、自分が本当の意味では家族に愛されていないという辛い現実を受け入れます。しかしそれは、私たちが出来損ないの子ども、兄弟、あるいは、いとこだからではなく、家族が愛情そのものを大切にしていないからです。毒家族が価値を見出すのは愛情ではなく力なのです。
私の場合は、母に偽りの愛情を向けられていました。母は、母親として私を愛さなければならないから愛そうとしているに過ぎないと、私は常々感じていました。私を愛することは義務だったのです。
現に、母が本当は私を軽蔑していたのをいつも感じていましたし、他の家族との扱いに差があるのを知っていました。
確かに、母に優しくされ気にかけられたこともありました。効果的に相手を支配するにはそういった態度も必要です。そのせいで私は母に愛されているかもしれないという希望にしがみつきましたが、それでも心の奥底ではずっとわかっていました。母の本当の気持ちは、表情や仕草、声のトーンに表れていましたから。
相手に本当に愛されていれば本能的にそれがわかるものですが、私が母からの愛を感じることはありませんでした。
家族から愛されていないと気づいたときにどう感じましたか。そしてその感情をどう受け入れましたか。
あなたが当然家族から与えられるべきだった愛情を、これまでずっともらえていないと心の底から確信したならば、次はあなた自身を虐待から守るための選択をするべきです。
※本稿は、シェリー・キャンベル著 髙瀨みどり訳『幸せになるには親を捨てるしかなかった』(ダイヤモンド社)から再構成したものです。