おじさんが疎まれやすい理由
そもそも、「働かないおじさん」に限らず、「おじさん」という生き物は社会の中で疎まれやすい存在である。
下記は非おじさん勢による、おじさん一般に対する世間的な批評・感想である。真偽は別として、このようなネガティブイメージを持つ人がいるのは事実だろう。
・老化の入り口に立ちつつも若者ばりに精力的で、生き物としてチグハグで不気味である。
・体毛がやけに発達して不気味(鼻、耳、眉など)。
・独特のにおいを放つ。
・成熟した部分(性格や仕事における技能など)と、それに対するプライドを持ちつつ、幼児性も同居させているので、取り扱いが繊細で面倒。
・社会的に影響力のある立場にいることが多く、そのせいで煙たがられやすい(上司が語る武勇伝の迷惑さもこれに属する)。
・一昔前までは「自分は偉い」の前提で振る舞うおじさんがとても多かったので、それに対する非おじさん勢の社会的な反発がまだ残存している。
・家族の中で「父親」というポジションは打倒の目標となりやすい(フロイトの夢判断と相まってか、現代の夢占いでは「父親を殺す夢」が自立を表す夢として紹介される。つまり、夢でポピュラーに殺されるくらい父親〈おじさん〉は打倒される存在ということである)。
これらが折り重なって、「忌むべき存在――おじさん」(以下「忌みおじ」)のイデオロギーを形成している。
また、セクハラを告発されたり、性加害で逮捕されたりするおじさんが定期的に発生することにより、おじさん一般への社会的信用度はさらに降下の一途をたどっている。セクハラおじさんが「忌みおじ」イメージの強化を図るのである。このあたりは、ごく一部のマナー悪い喫煙者が、喫煙者全体のイメージを悪化させている図に似ている。
おじさんたちは、自分たちが世間からそう評価されているのを知っている。ともすれば自分がダークサイドに堕(お)ちて、まさに「忌みおじ」の一味に加わりそうな危険を、日夜肌で感じているのだ。
筆者でいえば、やはりダジャレはつい言いたくなる機会が増えた。話は妙に説教くさい切り口になり、視点がやけに批判的になりやすく、若者を見ればいちいち「若い」というだけでうらやましい。これらはすべて自分を律しなければ「非おじさん」から煙たがられるであろう、危険な「忌みおじの所作」である。
だから、おじさんは「忌みおじ」なる世間のイメージに物悲しさを覚えるとともに、半ば諦めて受け入れている。こうべを垂れてその評に耳を傾け、他のおじさんがしでかした失態を、「自分があれをやらなくてよかった」という安堵とともに眺めながら、反面教師として自戒するのである。