「世界史とは、戦争の歴史です」。そう語るのは、現役東大生集団の東大カルペ・ディエムだ。全国複数の高校で学習指導を行う彼らが、「戦争」を切り口に、世界史の流れをわかりやすく解説した『東大生が教える 戦争超全史』が話題を呼んでいる。世界史、現代情勢を理解するうえで超重要な「戦争・反乱・革命・紛争」を地域別にたどった、教養にも受験にも効く一冊だ。古代の戦争からウクライナ戦争まで、約140の戦争が掲載された、まさに「全史」と呼ぶにふさわしい教養書である。今回は、本書の内容を一部抜粋しながら、史上最大規模の反乱「太平天国の乱」について紹介します。
受験に落ちた男が、夢に導かれて新宗教を設立
みなさんは、受験に落ちたことはありますか?
実は約170年前の中国で、受験に落ちたショックで、とある人物が反乱を起こし、第一次世界大戦以上の死者を出す大きな事件に発展したことがあったのです。今回は、『戦争超全史』でも紹介した、この中国の大事件「太平天国の乱」をご紹介したいと思います。
19世紀前半、アヘン戦争後に混乱に陥った清国内では、新宗教の拝上帝会が信者を集めました。彼らが、「太平天国」という独立国家を樹立し、打倒清王朝を掲げて起こしたのが太平天国の乱です。
反乱の中心人物となったのは、洪秀全という人物でした。
中国には科挙といわれる、隋の時代から続く官僚選抜試験があります。この試験の合格倍率は最盛期で約3000倍にも達したとされ、洪秀全もまた科挙合格を目指し、必死に勉強していた一人でした。
しかし、3度も不合格となり、失意の中、病気で寝込んでいたところ、夢の中である老人に出会い、現世の悪魔を滅ぼすように命令を受けます。
その後、4度目の科挙にも失敗した彼は、たまたま見つけたパンフレットでキリスト教について知ることになり、夢に現れた老人は神であり、自分はイエスの弟で、神からの言葉を授かった「預言者」だという謎の結論に至りました。
こうして洪秀全は、キリスト教の影響を受けた宗教団体、拝上帝会を組織します。ここで言う「上帝」とは「ヤハウェ(キリスト教における創造主)」のことであり、洪秀全は自らをイエスの弟と称しました。
当時、アヘン戦争の影響で清国内の情勢が不安定だったことや、男女平等を説く思想などが低階層の人々に支持され、拝上帝会は、数万人規模の信者を抱える宗教団体に成長しました。そして、次第に清朝との間に軋轢が生じ始め、ついに拝上帝会は「太平天国」という独立国家を樹立し、「滅満興漢(満州族の清を倒し、漢民族の王朝を立ち上げよう)」を掲げて清王朝に反乱を起こしました。これが太平天国の乱です。
死者2000万人。史上最大規模の反乱の結末
この反乱は、死者2000万人といわれる史上最大規模の反乱となりました。
太平天国軍の士気は非常に高く、南京を攻め落として天京と名を改め、新たな拠点とするなど、破竹の勢いで連勝を重ねていきました。
しかし、太平天国のナンバー2であった楊秀清が「自分もヤハウェとイエスの声を聞くことができる」と主張し始めたことなどで状況は一変しました。洪秀全は楊の粛清を決意し、楊の親族や配下など、数万人を虐殺しました。それをきっかけに、太平天国は弱体化していくことになりました。
またイギリスやアメリカも清に加勢しました。両国は常勝軍という名の軍隊を組織し、反乱の鎮圧に乗り出しました。さらには、清の命令を受けて曾国藩や李鴻章が組織した軍隊も太平天国を苦しめました。
その結果、太平天国は天京以外の領地をすべて失い、孤立してしまいます。食料事情はひっ迫し、洪秀全は「神がお与えになった」雑草を食べることを推進しました。しかし、その雑草を食べた洪秀全は食中毒になって亡くなったそうです。「そんなんだから4回も試験に落ちるんだ」と言いたくなるのは私だけではないと思うのですが、その後天京も陥落し、太平天国の乱は終結しました。
なんとか反乱を鎮圧した清でしたが、この反乱による死者は2000万人に及ぶといわれ、国力が大きく低下してしまいます。第一次世界大戦の死者が1600万人ほどだと考えると、その規模の大きさがわかるでしょう。
東大カルペ・ディエム
現役の東大生集団。貧困家庭で週3日アルバイトをしながら合格した東大生や地方公立高校で東大模試1位になった東大生など、多くの「逆転合格」をした現役東大生が集い、全国複数の学校でワークショップや講演会を実施している。年間1000人以上の生徒に学習指導を行う。著書に『東大生が教える戦争超全史』(ダイヤモンド社)などがある。