金融関係者によく知られたジョークに、「世界最大のタックスヘイヴンはアメリカ、その次はイギリス」がある。イギリスはロンドンの自治都市「シティ」のことだが、アメリカがなぜタックスヘイヴンなのか疑問に思うひとも多いだろう。

「オフショア口座、ペーパーカンパニー、国外からの政治介入に関する調査報道」を行なうアメリカのジャーナリスト、ケイシー・ミシェルの『クレプトクラシー 資金洗浄の巨大な闇:世界最大のマネーロンダリング天国アメリカ』(秋山勝訳、草思社)は、この謎を解くノンフィクションであり、告発の書だ。原題は“American Kleptocracy: How the U.S. Created the World's Greatest Money Laundering Scheme in History(アメリカのクレプトクラシー アメリカはどのようにして歴史上、世界最大のマネーロンダリング・スキームを創造したか)”。

 ビットコインのような暗号通貨は「クリプト(crypto)」と呼ばれる。「暗号」を意味する「クリプトグラフ(cryptograph)」の短縮形だが、「クレプト(klepto)」は(紛らわしいが)これとはまったく関係がなく、ギリシア語に由来する「盗む」の接頭辞だ。英語での用例は、「窃盗癖」を意味する“kleptomania(クレプトマニア)”、精神医学の用語で「窃盗性愛」の病理をいう“kleptophilia(クレプトフィリア)”のほかには、「泥棒政治」としての“kleptocracy(クレプトクラシー)”があるくらいだという。クレプトクラシーとは、少数の権力者や政治エリートが国民の資産を収奪する政治体制のことだ。

世界最大のタックスヘイヴンはアメリカ?発展途上国の独裁者やオリガルヒが不正な資金をアメリカに持ち込んでいる実態とは?Graphs / PIXTA(ピクスタ)

アメリカが「世界最大のマネーロンダリングの国」とは?

 赤道ギニアはギニア湾に面した中部アフリカの小国で、カカオとコーヒーのプランテーションくらいしか産業がなかったが、1990年代に海底油田が発見されると、大統領をはじめとする支配層がその富を独占するようになった。1979年に独裁者である叔父からクーデターで権力を奪ったテオドロ・オビアン・ンゲマ(81歳)が現在に至るまで君臨し、世界最長の現役政権を維持している。副大統領のテオドリンことテオドロ・ンゲマ・オビアン・マング(53歳)はその長男で、母国の莫大な富をアメリカで派手に散財した(マイケル・ジャクソンの遺品の世界最大のコレクターでもある)。

 イーホル・コモロイスキーはウクライナのオリガルヒ(新興財閥)で、ソ連崩壊とウクライナの独立を機に「プリヴァトバンク(Private Bank)」という民間銀行を設立して成功し、鉄鋼、石油・ガス、化学、エネルギーなどの多国籍起業へと発展させた。だがこれは典型的なポンジースキームで、コモロイスキーはウクライナの預金者をだまして集めた資金を使って、アメリカ中西部(ラストベルト)の不動産や鉄工所などに投資した(ウクライナ当局によって詐欺で起訴された)。

 ミシェルは『クレプトクラシー』で、テオドリンとコモロイスキー(およびアメリカのエージェント)を狂言回しとして、「汚れた金」がいかに簡単に洗浄され、アメリカに流れ込んでいるかを詳細に解説していく。その「秘密の鍵」となるのがペーパーカンパニーだ。

 アメリカが「世界最大のマネーロンダリングの国」になった背景には、独立戦争以来、この国が中央集権ではなく連邦制を維持してきたことがある。主権国家が寄り集まったEUほどではないものの、アメリカの州政府は日本の地方自治体よりはるかに大きな立法・司法・行政の権限が与えられている。会社法も連邦政府ではなく州の管轄事項で、どのようなルールで法人を設立するかは個々の州政府の裁量で決めることができる。

 この“バグ”をもっとも効果的に使っているのが(アメリカで二番目に小さな州である)デラウェア州で、1986年に『ウォール・ストリート・ジャーナル』に「アメリカへの投資を考えてみませんか」「アメリカ人と同じようにやってみませんか」という全面広告を出すと、副知事のS.B.ウーが州務長官を伴って中国、台湾、香港、インドネシア、フィリピンなどアジア各国の実業家や投資家、政府高官を訪問し、匿名のままアメリカに投資できると勧誘した。このときに用意されたパンフレットには、「あなたを政治から守ります」として、こう書かれていた。

「本国で敵対勢力による反乱や侵攻などの緊急事態が発生した場合、あなたの会社の所在地を一時的または恒久的にデラウェア州に移転させることで、当州の法律によってあなたの会社を保護することができます」

 ミシェルは「この国ほど容易にダミー会社が設立できる国はない」として、3人の研究者が行なった調査を紹介している。研究者たちが法人設立を代行する「企業サービスプロバイダー(CSP)」に「ペーパーカンパニーを設立する場合、どれだけ簡単に登記できるか」と質問したところ、「5分の1以上のCSPが、申請者本人の身分証明書を求めなかったばかりか、ほぼ半数のCSPが申請者本人と確認できる公的書類の提出さえ要求しなかった」。さらに、「依頼者の身元照会という最低限の確認を求めたのは10%未満で、国際的なベスト・プラクティス(最善慣行)に準拠していたのはわずか1.5%にすぎなかった」という。

 法人設立に必要な料金はわずか100ドル(約1万4000円)で、「15分もしないうちに、あなたは突然ペーパーカンパニーのオーナーになっている」のだ。

 それに対して、ペーパーカンパニーの申請者にもっとも多くの情報提供を要求した国や法域は、典型的な“オフショア”であるカリブ海のケイマンやアイリッシュ海のマン島だった。皮肉なことに、欧米が主導する規制によってタックスヘイヴンが透明化される一方で、アメリカは州同士の「底辺への競争」によって、ますます法人の匿名性が守られるようになっているのだ。

 ミシェルはここから、「オフショア(タックスヘイヴン)」と「オンショア(課税国)」という区別はもはや意味をなさないと述べる。いまではアメリカが、名目上はオンショアでありながら、実態はオフショアである「オフショア/オンショア世界」になった。「全世界の富の10%近くが海外のオフショアのタックスヘイヴンに移されているというが、その多くがアメリカに吸い寄せられ、この国で秘匿されている」というのだ。