超ミニマル・ライフとは、「どうでもいいことに注ぐ労力・お金・時間を最小化して、あなたの可能性を最大化する」ための合理的な人生戦略のこと。四角大輔さんの新刊『超ミニマル・ライフ』では、「Live Small, Dream Big──贅沢やムダを省いて超効率化して得る、時間・エネルギー・資金を人生の夢に投資する」ための技法が書かれてあります。本書より、本来のあなたを取り戻すための「自分彫刻」についてご紹介します。

なぜ日本人は「限りある時間」を無駄遣いしてしまうのか?Photo: Adobe Stock

限りある「命(時間)」の無駄遣いをする人が日本には多すぎる

「You Only Live Once──人生は一度だけ」

 英語圏では何かにつけて耳にするフレーズだ。

 寿命あるあなたにとって「時間」とは「命」。しかも、人生の締め切りは予告なくやってくる。

 なのに、なくてもいいモノを買うため、どうでもいいコトを得るために、限りある「命(時間)」の無駄遣いをする人が日本には多すぎる

 ニュージーランドに暮らして約14年。移動生活を送りながら65ヶ国を視察するなど外から日本を見てきた筆者は、哀しみをもってそう言い切れる。

「どんなにがんばっても、常に時間が足りない」
「欲しいモノを買い、不便なく暮らせているが満たされない」

 もし、あなたがそう思っているなら、それもあなたのせいじゃない。その原因は現代日本の「社会システム」にあるからだ。

なぜ、ミニマリズムの国が世界トップクラスの大量消費社会になってしまったのか

 その昔、日本はミニマリズムの国と評されていた。

 あの故スティーブ・ジョブズが心酔し、Apple製品のミニマル・デザインの起源になるほどに。

 装飾を最小限とする美意識、資源や食べものを無駄にしない生活様式、細部を尊ぶ思想が世界中から敬(うやま)われていた。

 それが今や、世界トップクラスの大量消費社会となり(※1)──需要をはるかに超えたモノやサービスを売るために──世界有数の広告大国になってしまった(※2)。

 供給される情報も過剰で、その大半が広告ベースだ。メディアやSNSから投下されるトレンドや虚像が「あなた自身」を見失わせ──他人と比較・競争させて劣等感と焦燥感を煽(あお)り続ける。

「役に立つといわれるスキルや資格」
「ネットで常時拡散されるお役立ち情報」
「みんながやっているというプレッシャー」

「あなたはお金で何かを買っているのではない。稼ぐために費やした人生の一部で買っているのだ」

 それだけじゃないだろう。

「大量生産されるファストファッションや格安商品」
「流行・お得・便利というマーケティングメッセージ」
「SNSで増幅したつながりと、組織での面倒な人付き合い」

 家を埋め尽くすモノ、見栄のためのブランド品、余計な情報、他人の評価やステータス──そんな無用の長物を得るために際限なく稼ごうと必死に働き、重いストレスと疲労に苦しむ。

「あなたはお金で何かを買っているのではない。稼ぐために費やした人生の一部で買っているのだ」

 これは──収入の9割を寄付し、公邸ではなく農園に住み続けた──「世界一貧しい大統領」と言われ愛された、ウルグアイのホセ・ムヒカ氏が、日本に向けて発した言葉だ。

「世界一便利」と評される日本は、みんなの過重労働やサービス残業が支えている

 いつの間にか大量の不要物を背負い、動けなくなっている。必要以上を追い求め、何かを得ては快感を覚え──すぐ冷めては「これじゃない」と次々に手を出す。稼いでも稼いでも喉の渇きは満たされず、不安と焦りという「渇望症」があなたを蝕(むしば)む。

 海外から「さすがおもてなしの国」と、従順さや勤勉さが絶賛されて「世界一便利」と評される日本は、みんなの過重(かじゅう)労働やサービス残業が支えているだけ

 ──そんな行きすぎた便利社会を求めるあなたは、自分の首を絞めているだけなのに──。

 この「システム」のせいで人生が仕事に支配され、命を消耗させながら働いている。心や体の健康に問題を抱え、自殺や過労死が後を絶たない──筆者も大切な人を何人も失っている。

「仕事って、生きるって、こんなに楽しいのか」

「この現状を何とかしたい」

 本連載にはそんな想いがこもっている。会社員時代に希望を失い、心身の不調に苦しんだ筆者の経験もその想いを熱くする。

「生きることは働くことで、仕事とは苦役だ。人間界は複雑で、社会は過酷だ」

 こう思い込んで失意の底にいたが、意識と行動をある方向へシフトするや否や、苦境からもシステムからも抜け出すことができた。

 今では、「この時代に生まれてよかった。仕事って、生きるって、こんなに楽しいのか」と思えるようになったのである。

「減らす」「手放す」「軽くする」「削ぎ落とす」といった引き算をしただけ

 ある方向へのシフト、システム脱却とは全く難しい話じゃない。

「減らす」「手放す」「軽くする」「削ぎ落とす」といった引き算をしただけ。簡潔に言うなら、暮らしと仕事──つまり生き方──をミニマルにしただけだ。

「増やす」「所有する」「大きくする」「成長し続ける」という足し算は多大な労力を要し、莫大なお金がかかる上に終わりがない──あなたを追い込むシステムから逃れることもできない。

 だが、引き算には必ず終わりがある。すでに手にしている物事を手放すだけだから誰にでもできる。なのに日本では、実践できている人は1%もいない。それが悲しいのだ。