加えて氏の作品からは、題材の斬新さと多用される比喩表現の巧みさとが相まって、半ば陳腐化した小説言語を一変させそうな、そんな「若さ」も感じられます。

 村上氏の比喩の特性の1つに、嫌らしさを感じさせない性描写があります。

 たとえば「下腹部には細い陰毛が洪水の後の小川の水草のように気持よくはえ揃っている」(『風の歌を聴け』)、「陰毛は行進する歩兵部隊に踏みつけられた草むらみたいな生え方をしている」(『1Q84 BOOK 1』新潮社)とか、(女にペニスを握られた「僕」が)「まるで医者が脈を取るときのように」「彼女の柔らかい手のひらの感触を、なにかの思想みたいにペニスのまわりに感じる」(『海辺のカフカ』新潮社)といった調子です。

 こういう比喩が氏ならではの感性の表現と受け入れられ、若い読者を中心に村上ワールドへと引っ張り込んだのは確かです。

 それでは村上氏は何を意図して比喩に力を注いできたのか。

 いや、そう難しい話ではないのです。実は村上氏が氏のファンでもある作家、川上未映子氏のインタビューに答えた『みみずくは黄昏に飛びたつ』(新潮社)は、なるほど彼の意図した小説とは、そういう考えに基づいてのものだったのか、とあらためて気づかされる内容になっています。彼特有の比喩表現の狙いや思惑、計算などもあわせて語られているのです。

 村上氏はチャンドラーの比喩に「私にとって眠れない夜は、太った郵便配達人と同じくらい珍しい」というのがあると断って、こう続けています。

 これは何度も言っていることだけど、もし「私にとって眠れない夜は稀である」だと、読者はとくに何も感じないですよね。普通にすっと読み飛ばしてしまう。でも「私にとって眠れない夜は、太った郵便配達人と同じくらい珍しい」というと、「へぇ!」って思うじゃないですか。「そういえば太った郵便配達って見かけたことないよな」みたいに。それが生きた文章なんです。そこに反応が生まれる。動きが生まれる。

会話に潜む村上マジック
頭と目を柔軟にして表現の訓練を

 僕は村上氏が読者からの質問に答えた『村上さんのところ』で、「情景描写と心理描写と会話、というのがだいたいにおいて、小説にとっての3要素みたいになります。この3つをどうブレンドしていくかというのが、小説家の腕の見せ所です」と話していることに以前から注目していました。