毎年、ノーベル文学賞の受賞候補者に挙げられる村上春樹氏。斬新な題材に散りばめられた巧みな比喩表現によって、作品を手にした読者はみな村上ワールドへと引き込まれる。村上氏が比喩表現に力を注いでいる理由とは何か。本稿は、近藤勝重『60歳からの文章入門―書くことで人生は変えられる』(幻冬舎)の一部を抜粋・編集したものです。
世界中の読者を惹き付ける村上春樹
若さがみなぎる文章術の秘訣
村上春樹氏はデビュー作『風の歌を聴け』(講談社)で、架空の作家の言葉を借りてこう書いています。
文章をかくという作業は、とりもなおさず自分と自分をとりまく事物との距離を確認することである。必要なものは感性ではなく、ものさしだ。
距離とものさしという言葉がいかにも村上春樹という印象ですね。
心で感じ取ったその思いや考えをどう表現するかは、文章につきまとうテーマです。人の話や本を読んでいて出合った言葉で、これは忘れないで覚えておこう、人間として……といった自覚とともにノートに書き記した言葉が僕にはいくつかあります。
村上春樹氏の『騎士団長殺し』(新潮社)にはこんな比喩表現があります。
私は雨降りを眺めるのをやめて、彼女の顔を見た。そしてあらためて思った。六年間同じ屋根の下で暮らしていても、私はこの女のことをほとんど何も理解していなかったんだと。人が毎晩のように空の月を見上げていても、月のことなんて何ひとつ理解していないのと同じように。
村上春樹氏は最初は流れのままにさっと書いても、あとからしっかりと手を入れていくそうです。彼に言わせれば、推敲は「読者に対する親切心(サービス心ではなく親切心です)。それを失ったら、小説を書く意味なんてないんじゃないかと僕は思っているのですが」と『村上さんのところ』(新潮社)でも強調しています。
みなさんにとって、作家の村上春樹氏はどんな印象なのでしょうか。
70代半ば(後期高齢者)にさしかかる年齢の方なら、老人と呼ばれて不思議はないのですが、1949年生まれの村上氏に「おじいさん」の感じは希薄です。
現に僕の周囲では、「えっ、あの村上春樹でしょ。マラソンだって健脚ぶりが伝えられていましたから……。そうですか。74歳……でも、老成の印象はないですよね」。
確かに老作家とはほど遠い印象です。村上氏自身、59歳で亡くなったロシアの文豪、ドストエフスキー(1821~1881)より自分が長生きしていることに驚いていたほどですからね。
それにしてもなぜ若く思われているのか。見かけの印象もさることながら、若い頃の群像新人文学賞受賞作『風の歌を聴け』や『ノルウェイの森』などの作品の鮮烈さが、読者には強烈に記憶されているせいもあるのでしょうね。