世界1200都市を訪れ、1万冊超を読破した“現代の知の巨人”、稀代の読書家として知られる出口治明APU(立命館アジア太平洋大学)学長。世界史を背骨に日本人が最も苦手とする「哲学と宗教」の全史を初めて体系的に解説した『哲学と宗教全史』が「ビジネス書大賞2020」特別賞(ビジネス教養部門)を受賞。宮部みゆき氏が「本書を読まなくても単位を落とすことはありませんが、よりよく生きるために必要な大切なものを落とす可能性はあります」と評する本書を抜粋しながら、哲学と宗教のツボについて語ってもらおう。

手をつなぐPhoto: Adobe Stock

波乱万丈の42年の生涯

【日本人最大の弱点!出口学長・哲学と宗教特別講義】キルケゴールの42年の生涯が背負っていたもの出口治明(でぐち・はるあき)
立命館アジア太平洋大学(APU)学長
1948年、三重県美杉村生まれ。京都大学法学部を卒業後、1972年、日本生命保険相互会社入社。企画部や財務企画部にて経営企画を担当する。ロンドン現地法人社長、国際業務部長などを経て2006年に退職。同年、ネットライフ企画株式会社を設立し、代表取締役社長に就任。2008年4月、生命保険業免許取得に伴いライフネット生命保険株式会社に社名を変更。2012年、上場。社長、会長を10年務めた後、2018年より現職。訪れた世界の都市は1200以上、読んだ本は1万冊超。歴史への造詣が深いことから、京都大学の「国際人のグローバル・リテラシー」特別講義では世界史の講義を受け持った。
おもな著書に『哲学と宗教全史』(ダイヤモンド社)、『生命保険入門 新版』(岩波書店)、『仕事に効く教養としての「世界史」I・II』(祥伝社)、『全世界史(上)(下)』『「働き方」の教科書』(以上、新潮社)、『人生を面白くする 本物の教養』(幻冬舎新書)、『人類5000年史I・II』(ちくま新書)、『0から学ぶ「日本史」講義 古代篇、中世篇』(文藝春秋)など多数。

 今回は、20世紀に入るまで、その存在がほとんど知られていなかったキルケゴールの、すでに伝説めいている生涯について紹介します。

 セーレン・キルケゴール(1813-1855)はデンマークのコペンハーゲンで生を享けました。

 父は裕福な毛織物商人でした。

 キルケゴールは3人の兄と3人の姉の末っ子として生まれました。

 キルケゴールの父はユラン(ユトランド)半島の教会の借家に住む、貧しい農家の生まれでした。

 しかし青年時代にコペンハーゲンに出て財を成しています。

 父は農村時代、いつも自分の貧しさを神に訴え、呪っていました。

 また、父は先妻の死後、先妻の下女だった女性を強引に身ごもらせ、妻にしています。

 父は、自分が一代で富豪になれたのは、自分が貧しさゆえに神を呪った代償なのだと考えていました。

 また、神の前で愛を誓うこともなく、先妻の下女を妊娠させたことを罪として畏れていました。

 そして父は自分の子どもの運命も、神の罰によって短命に終わるだろうと悲観していたようです。

 そのような理由から、自分が56歳をすぎて生まれてきた末っ子のキルケゴールに、宗教的な禁欲を強いる教育を施しました。

 やがてキルケゴールは17歳になった1830年、コペンハーゲン大学神学部に進みます。

 そこで哲学を学びます。

 その頃には彼の兄2人と姉3人そして母が、世を去っていました。

 同じ頃に、キルケゴールは父から自分の過去と神への畏れを告白されました。

 キルケゴールの受けた衝撃は大きく、自分もまた罪の意識を背負ったと思われます。

 その父が1838年に死亡、同時期にキルケゴールは14歳の少女レギーネに恋します。

 やがてキルケゴールが27歳、レギーネが17歳になった1840年、2人は婚約しました。

婚約を一方的に破棄

 ところがキルケゴールは一年後、一方的に婚約を破棄します。

 その理由を彼は語っていません。

 さまざまな憶測があります。

 神への罪の意識、彼女への純粋な愛と結婚という形式との相克、果ては性的なことも含めて彼の身体的な理由も言及されています。

 彼の背骨は曲がっていたという説もあります。

 婚約解消後、彼はベルリンに行き、モーツァルトのオペラを鑑賞しています。

 さらにベルリン大学で、ヘーゲルと親交のあった哲学者フリードリヒ・シェリング(1775-1854)の講義を聴きました。

 シェリングの学説がヘーゲルの哲学を批判し始めた時期でした。

 1842年、コペンハーゲンに戻ったキルケゴールは、ものに憑かれたように執筆活動に専心します。

 そして1855年の晩秋、コペンハーゲンの路上で倒れ、数日後に死去しました。

 42歳でした。

 彼は遺書を残し、自分の遺産と遺稿を婚約者だったレギーネに贈りました。

 彼女は彼の遺稿だけを受け取ったと伝えられています。

(本原稿は、出口治明著『哲学と宗教全史』からの抜粋です)