クラウドやAI(人工知能)など新領域を開拓し、未だに目覚ましい成長を続けるマイクロソフト。しかしその躍進も、無数にある「苦い経験」を乗り越えてこそ。ここではモバイルOSでの失敗談を人気作家が紹介する。
「iOS」や「アンドロイド」の打倒製品
2010年10月、マイクロソフトはウィンドウズフォン7という新たなOSを搭載した9機種のスマートフォンの発売を発表します。
マイクロソフトの携帯端末用OSの歴史は、1996年に発表されたPDA(携帯情報端末)向けOSのウィンドウズCE(電化製品などの組み込み用OS)までさかのぼります。その後、2003年にウィンドウズモバイルというOSを開発したマイクロソフトは、徐々に広がり始めたスマートフォンにおいても業界の先駆者として存在感を発揮していました。
しかし、2007年6月、業界に衝撃が走ります。アップルのiPhoneが発売され、そしてグーグルもスマートフォンのOSとしてアンドロイドを投入したのです。この大きな波を受け、ウィンドウズモバイルはモバイル領域のOSで数年にわたってシェアを失い続けました。
そんな危機感高まる2010年、マイクロソフトは勝負に出ます。それまでのウィンドウズモバイルとの互換性を捨て、ゼロベースでウィンドウズフォンという新たなOSを開発したのです。
ノキアとタッグを組み他社を追撃
マイクロソフトは、それまではパソコンとモバイルの融合を目指し、モバイルでもパソコンの使い勝手を再現することに注力してきました。しかし、ウィンドウズフォンではスマートフォンに焦点を定め、ソーシャルを一元化した「ハブシステム」という仕組みの導入や、大幅に後れを取っていたアプリストアによるエコシステムの導入、さらにはウィンドウズ8.1/10に通じるタイルデザインを大胆に取り入れた画期的なモバイルOSへと変身させたのです。
そして、2011年2月には、端末メーカーのノキアがマイクロソフトと提携し、ウィンドウズフォンをノキアのスマートフォンの主要なプラットフォームとして採用することを発表します。ノキアは直近までモバイルOSではシェア1位だったシンビアンというOSを自社で抱えていましたが、OSを中心とするスマートフォン市場のイノベーションに乗り遅れ、シンビアンはもはや時代遅れとなっていました。ノキアにとっても、シンビアンを捨ててウィンドウズフォンのOSを採用する、というのは社運を賭けた大きな一手だったのです。