ウケなくてもいい、
イケてない人と思われなければ
1年間お読みいただいてる方なら、たくさん示してきた用例を見て来て、すでにうっすらお気づきかもしれませんね。今回のタイトルの意味が。
たとえば、あなたがたったいま何人かと話していてダジャレを思いついたとします。うまい具合に話の流れに乗っていえるネタだ。さあ、よきところで話の腰を折らないように言おう! と意気込んでダジャってみたが、あら? 場がスカスカと……。こんな経験はありませんか?
何度か書いていますが、ダジャレはウケるためではなく自分の知的能力をアップさせるためなので、ウケなくてもいいんです。いいんですが、でもウケればなおよいし、場が楽しくなるに越したことはない。そして問題は、ダジャレとわかられなかったとか、ウケなかったということより、あなたが「イケてない人」と思われてしまうことなのです。
まだまだ一般的に「ダジャレを言う人=ダサイオヤジ」みたいな非常によろしくない先入観がハービーハンコック…いや、はびこってますよね。そんな民度の低い人たち(笑)が多いのはしかたない。でも、そんな人から見ても、ダジャレを言ってもダサく思われない人もいるのです。ルックスがいいからとかそんな話じゃなくて、会話や文章のセンスでそれが決まるということ。
人間そのものはもはや変えようがない。ではダジャるあなたを知的に感じてもらうための最大のポイントは何かというと、これ。
ダジャレれそうなきっかけワードまでは見えていて、そこからダジャレを完成させようとして選ぶ言葉の微妙な差。そこを見出すセンス。これです。これだけではわかりにくいでしょうから、いつものように用例を示していきましょう。