テレビ・ネットで「日本のウォーレン・バフェット」と話題! 1936年(昭和11年)、兵庫県の貧しい農家に4人兄弟の末っ子として生まれた。高校を出してもらってから、ペットショップに就職。そこでお客だった証券会社の役員と株の話をするようになった。そして19歳のとき、4つの銘柄を買ったことが株式投資の始まりだった。あれから68年、バブル崩壊では10億円あった資産が2億円にまで減った。しかし今、資産は18億円まで増え、月6億円を売買しながら、デイトレーダーとして日々相場に挑んでいる。隠しごとなしに日常生活から投資法まで全部書いた話題の書『87歳、現役トレーダー シゲルさんの教え 資産18億円を築いた「投資術」』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものをお送りする。
生まれた日をずらす
私、藤本茂は1936年4月2日、兵庫県印南郡阿弥陀村(現・高砂市阿弥陀町)に4人きょうだいの末っ子として生まれました。
実を言うと3月28日生まれなのですが、「早生まれは不利」ということで、戸籍上は4月2日生まれになっています。昔は、そんなことができたんですね。
一番上が9歳上の姉、次に6歳上の兄、その次が3歳上の姉、そして私というきょうだいです。
「二・二六事件」が
起きた年に生まれる
きょうだい同士が面倒を見ることは当たり前の時代でしたが、とくに一番上の姉は9歳離れていることもあり、私をよくかわいがってくれました。
もうみんなこの世を去ってしまい、残されたのは私1人になってしまいましたが……。
1936年といえば、二・二六事件が起こった年です。その3年後に第二次世界大戦が始まり、9歳のときに終戦を迎えました。
貧乏暮らしの子ども時代
私の生家は決して裕福な家庭ではありませんでした。実家は農家で、4反ほどの農地で米を作っていました。
1反は300坪ですから、広いと感じられるかもしれませんが、専業農家としては、そこまで広いわけでもありません。
「五反百姓出ず入らず」(5反の農地を持っている農家は、お金が残りもしないが借金もしない)ということわざがあるくらいですから、4反だと生活はかなり厳しいです。
4反の田んぼからの
微々たる収入
現在でも、1反だと米が600kgも収穫できたら御の字です。スーパーに行くと、銘柄によっては米5kgが2000円くらいで売られています。
となると、1反で24万円。4反で100万円にもなりません。あくまで店頭価格でその値段なのですから、中間マージンを差し引いた農家の収入は、微々たるものなのです。
そのうえ道具や肥料などの経費もかかります。そうするといくらも残りません。そんな状況で、きょうだいが4人もいたわけですから、裕福とは程遠い生活でした。
ニワトリに助けられる食生活
当時、「肉」といえば鶏肉でした。牛肉なんて、値段が高くて食べられません。
私の家を含め、周囲の多くの農家がニワトリを飼っていました。それは、農作業の工程で出た大量の野菜くずや糠(ぬか)を餌えさに回せるからです。
ニワトリに卵を産んでもらって、その卵を食べる。そして、卵を産めなくなったら、そのニワトリを絞めて食べる。なので、贅沢(ぜいたく)といえば「水炊き」でした。
ペットショップに就職
いまでも特別贅沢をしたいと思わないのは、当時の記憶が色濃く残っているからだと思います。
そんな時代でしたから、高校に進学したとしても、大学に進学するのはクラスで1、2人くらいのもの。私も大学には行っていません。
ありがたいことに高校には行かせてもらいましたが、卒業後の進路については、一番上の姉の夫の口利きで、ペットショップに就職することになりました。
勉強しない高校生
姉の夫は税理士だったのですが、そのペットショップは義兄の顧問先の1つだったのです。
「うちの税理士事務所で働かないか」とも誘われましたが、堅苦しそうな仕事は好きではなかったので断りました。
ペットショップへの就職が早くに決まったこともあり、高校生のときは、あまり勉強しませんでしたね。
※本稿は、『87歳、現役トレーダー シゲルさんの教え 資産18億円を築いた「投資術」』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。