ロシア革命に際しては、革命に反対する勢力もあり、一時は内戦が勃発します。革命派は「赤軍」を組織しました。赤は共産主義のシンボルカラーで、つまりは共産軍。これに対抗する武装組織は赤に対して「白軍」と呼ばれました。

 この内戦に世界各国が干渉します。イギリスやフランス、カナダ、アメリカ、イタリア、日本などです。これらの国々は白軍を支援したのです。資本主義各国は、社会主義革命に恐怖し、なんとか潰そうとしたというわけです。

 最終的に白軍は崩壊し、各国の干渉は終わりますが、アメリカがソ連を国家として承認したのは1933年になってからのことでした。国際連盟に加入が認められたのは翌1934年。ソ連が、世界各国から警戒されていたことがわかります。

 ロシア革命を阻止しようと資本主義諸国が軍事介入した。これが、革命後のソ連にとってのトラウマになります。周辺の国がいつ軍事介入するかわからない。ソ連発足以降のロシアの権力者にとっての恐怖心につながるのです。

 プーチン大統領は、ソ連時代、スパイ組織KGBに所属していました。ソ連崩壊後、KGBから改組されたFSB(連邦保安庁)のトップも務めていました。彼の下には、当時の部下たちが多数集められ、政権を支えています。

 彼は、「ソ連崩壊は20世紀最大の地政学的悲劇」と呼びました。この言葉に、大国だったソ連の誇りを取り戻したいという思いが象徴されています。

 彼にとって、第二次世界大戦でドイツの侵略と戦って勝利したソ連の歴史は大いなる誇りです。

 ドイツ軍とソ連軍の大規模な戦車戦は、現在のウクライナ東部の平原地帯で展開されました。ここでソ連軍を破ったドイツ軍は、レニングラードやスターリングラードを包囲。ソ連軍に多大な犠牲が出ました。

 このときスターリンは、かつてナポレオンの侵略を退けた1812年の「祖国戦争」になぞらえ、この戦いはファシストの侵略者を撃退し、ロシアを守るための「大祖国戦争」であると規定し、国民を鼓舞しました。

 ウクライナに軍事侵攻して以来のプーチン大統領は、かつてのスターリングラード、現在のボルゴグラードで演説し、ウクライナの指導者を「ネオナチ」と非難しています。いまのウクライナを、かつてのナチス・ドイツと同列に扱い、「スターリングラード攻防戦のように戦おう」とロシア国民を鼓舞しているのです。

 戦場となった場所のうち、レニングラードはプーチンの出生地。戦争時、プーチンはまだ生まれていませんでしたが、プーチンの兄は腸チフスで死亡し、プーチンの母親も栄養失調で餓死寸前に追い詰められました。プーチンは、幼少期から、この悲劇を聞かされて育ったはずです。自国が強くなければならないと考えたでしょう。プーチンの個人的なトラウマになったのです。