こんな文化遺伝を受け継いだロシアのプーチン大統領としては、旧ソ連を構成していたウクライナが、かつてソ連に敵対していたNATO(北大西洋条約機構)に入ろうとすることは、「アメリカの陰謀ではないか」との猜疑心につながったのです。
プーチンが敬愛する2人の皇帝は
アゾフとクリミアを征服した
2022年6月、プーチン大統領は、生誕350年を迎えたピョートル大帝の展示会を視察した後、「ピョートル大帝は偉大な北方戦争を21年間も展開した。スウェーデンから何かを奪ったと思えるが、何も奪ってはおらず、取り返しただけだ」と主張しました(ロイター2022年6月10日)。
彼に言わせれば、スウェーデンが支配していた地域にはスラブ人が住んでいた。それを「取り戻した」という論理なのです。プーチン大統領がウクライナに軍事侵攻したのも「ロシア人を保護するため」という理屈をつけています。彼がピョートル大帝を手本にしていることがわかります。
ピョートル大帝は17世紀末から18世紀にかけてのロシア帝国の皇帝です。ピョートル一世ですが、ロシアを巨大な帝国として築き上げたことで「大帝」と称されます。
初期のロシアは、ヨーロッパではスウェーデンやポーランドに押されて弱小勢力でしたが、ピョートル一世は、プロイセン(後のドイツ)の軍事や税制、官僚制などを手本に近代化を進め、帝国の基礎を固めました。
一方、南方に関してはオスマン帝国が支配する黒海沿岸に進出。いわゆる「南下政策」の端緒を作ります。冬でも凍らない港を確保したかったのです。1696年には黒海につながるアゾフ海に面したアゾフを占領します。いったんはオスマン帝国の反撃を受けて放棄しますが、ピョートル一世の死後、ロシア領となります。
ここは、ロシアがウクライナに侵攻して占領した場所です。プーチン大統領にしてみれば、ソ連崩壊でいったんはウクライナ領になった場所を、ロシアとして取り戻したという発想でしょう。
さらに北方では、バルト海の覇権をめぐって1700年からスウェーデンと戦います。戦争は21年も続いて、ようやく勝利。その戦争中からバルト海の制海権を握り、1712年、バルト海に近い場所にサンクトペテルブルクを建設し、首都をモスクワから移転します。都市名はピョートルの守護聖人である聖ペテロに由来し、「聖なるペテロが守りたもう町」の意味です。