AI時代、最重要の教養の一つと言われる「哲学」。そんな哲学の教養が、一気に身につく本が上陸した。18か国で刊行予定の世界的ベストセラー『父が息子に語る壮大かつ圧倒的に面白い哲学の書』(スコット・ハーショヴィッツ著、御立英史訳)だ。イェール大学とオックスフォード大学で博士号を取得した哲学教授の著者が、小さな子どもたちと対話しながら「自分とは何か?」から「宇宙の終わり」まで、難題ばかりなのにするする読める言葉で一気に語るという前代未聞のアプローチで、東京大学准教授の斎藤幸平氏が「あらゆる人のための哲学入門」と評する。本稿では、同書より特別にその一節を公開したい。
自分は「痛くもかゆくもない」と思わせる
私の母は「棒や石なら骨を折れるが、どんな言葉も私を傷つけることはできない」というおなじみの教訓が好きだった。
私がだれかに意地悪されて家に帰ると、母はその言葉を持ち出して、私の気持ちを落ち着かせようとした。でも、子ども心にも、それはウソだと思っていた。人を傷つける言葉はある。言葉によって骨折より痛い傷を負うことがある。
私は子どもたちに「棒や石なら骨を折れるが……」というフレーズを教えない。言葉で傷つけられたことを否定する必要はない、と知ってほしいからだ。
とはいえ、このフレーズにもよい点はある。
それは、ハッタリとしての巧みさだ。言葉によって傷ついたとき、へっちゃらを装うほうがよいこともある。
あなたに失礼な言葉を言う相手は、あなたを興奮させようと思っている。だから、うるさく言ってきてもその手には乗らないほうがいい。どんな言葉で侮辱されようと、自分は痛くもかゆくもないと伝えることができればもっといい。
それは相手のたくらみをひっくり返すことになる。無視することが、おまえは取るに足らない存在であり、おまえが何を言っても自分は何とも思わない、という意思表示になる。それを押し通すのは簡単ではないが、うまくいけば相手の言動をやめさせる最良の方法になる。
「勝手にすればいい」「どうでもいい」と伝える
ある晩、息子のハンクが、だれかに意地悪なことを言われたと話しかけてきた。そこで私はハンクに、そんなときに相手に言い返す強力なひと言を教えてあげよう、と言った。
「聞く準備はできてるかな?」
「できてる」
「本当か? けっこう強烈だよ」
「大丈夫だよ」とハンク。
「だれかが意地悪なことを言ったら、こう言い返すんだ。『勝手に言ってろ、知ったことか』」
「パパは、ぼくのことなんかどうでもいいんだって!」
ハンクは母親の注意を引こうとして大声を張り上げた。
「違う、違う。パパはハンクのことを気にかけてるさ。意地悪なことを言うヤツに言い返す言葉を教えてやってるんだ。練習する?」
「うん」
「おまえ、チビだなあ。アリにだってバカにされてるぜ」
ハンクはくすくす笑いながら、「勝手に言ってろ、知ったことか」と言った。
「これ、おまえの眉毛か? 毛虫が顔にとまってるのか?」
さらにくすくす笑いながら言った。「勝手に言ってろ、知ったことか」
「歯は磨いてるのか? 息がおならみたいに臭いぞ」
爆笑。
「勝手に言ってろ、知ったことか」
こんなことを何度か繰り返したが、そのうちハンク相手に言うことのネタが尽きてしまった。そこまでにして、寝ることにした。
子ども部屋に向かおうとするハンクに、私はいつもの言葉をかけた。
「おやすみ、ハンク。愛してるよ」
「勝手に言ってれば」
わが子に一本取られた。
(本稿は、スコット・ハーショヴィッツ著『父が息子に語る壮大かつ圧倒的に面白い哲学の書』からの抜粋です)