リーダーの考え方が及ぼす結果は、自分一人だけではなく、従業員にも、また社会にも累を及ぼすからです。ですから、集団を率いるリーダーは、どんな考え方をしても自由だということは決してありえないのです。

 集団を幸せにし、また社会を豊かなものにするために、高邁な考え方をもつことが、リーダーの義務であるはずです。ましてや、一国を導いていく宰相は、とりわけすばらしい「考え方」をもち、高潔な「人格」を備えている人でなければ、亡国の事態にもなりかねません。

組織の長たる者が持つべき「考え方」とは?

 企業においても、社長だけでなく、たとえ部長であっても、課長であっても、組織の長たる者の考え方が自由でいいというわけでは決してありません。集団を幸せにするために、すばらしい「考え方」をもたなければならないのです。このことを、リーダーは、またリーダーを目指す人は、深く理解する必要があります。どんなに環境が変わろうと、鍛え抜かれた不動の「人格」を確立していなければ、真のリーダーたりえないのです。

 中国の古典に「ただ謙のみ福を受く」という言葉があります。謙虚でなければ、幸せやラッキーは得られないという意味です。謙虚さを失うことは、人生を生きる上で、また経営においても最大の損失です。たとえ成功を収めても、足るを知り、謙虚さを失わず、幸せであることを、周囲に感謝しなければなりません。同時に、他の人も幸せになるように何かをしてあげようという「利他の心」をもつことが大切です。

 成功を収め、絶好調のときに、そのように「他に良かれかし」という考え方ができるならば、決して没落の引き金を引くことにはならないはずです。

(本原稿は『経営――稲盛和夫、原点を語る』から一部抜粋したものです)